『政党が操る選挙報道』 鈴木哲夫著

2007年7月23日 NBonline

『政党が操る選挙報道』 鈴木哲夫著(評:小田嶋 隆)
~踊るテレビに踊らされるな

集英社新書、700円(税抜き)

 2005年の総選挙における自民党の圧勝について、メディアは「小泉劇場」という4文字を提示するのみで、それ以上の説明を放棄した。

 つまり、あの選挙が「劇場」だったということは、オレら投票者は田舎芝居にひっかかったバカな野次馬だったということなのか? 仮に、あの選挙がイメージ先行の、プロパガンダ満載の、出来レースのシナリオ進行だったのだとして、だ。

 でも、そのシナリオを一押しにしていたのは、何よりもまず、あんたらメディアだったはずで、だとしたら、そのメディアの中にいる当事者であるキミたちが、「小泉劇場」なんていう無責任な言葉を使って有権者にケツを持っていくのは、職業倫理にもとるんじゃないのか? ストリップ小屋の経営者が観客の好色をなじるのと同じで、そもそもが、スジ違いの批判ではないか?

 私は、あれ以来、「小泉劇場」報道に、以上のような違和感を感じていたのだが、それについて、本書はひとつの答えを提示してくれている。



興行主は誰だった?

 つまり、「小泉劇場」は、メディア主導の劇場ではなく、あくまでも自民党のコミュニケーション戦略本部(以下「コミ戦」と略す)が綿密にシナリオを書いて実行したひとつの大当たり興行だったというのだ。メディアもまた踊らされていたのであり、単においしいネタに飛びついただけのつもりでいるワイドショーや、きちんとした政策批判を展開したつもりでいたニュースショーも含めて、すべては、脇役だった、と。

 著者の鈴木哲夫は、ずっとテレビ畑で報道の仕事にたずさわってきたベテランのテレビマンなのだが、その鈴木は、選挙後に、自民党のコミ戦で陣頭指揮を執った世耕弘成議員を取材して、愕然としたのだという。オレらは、要するに操られていたんじゃないか、と。それほどに、世耕が展開した戦略は見事だった。そしてまた、選挙後に、自らの手の内を語るにあたって、世耕は驚くほど率直だった。

 というわけで、本書の前半部分は、ほとんど「世耕弘成物語」の様相を呈することになる。経歴を追うところからはじまり、広報マンとしての手腕や業績について、かなりの紙幅を割いている。

 さらに、政治家として活動しはじめた後の世耕の動きについても、細大漏らさずにテキスト化されている。2004年7月の参院選での敗北を受けて、世耕が党内でコミ戦の重要性を訴えながらその政治的基盤を固めはじめたあたりから、福田官房長官が仕切っていた官邸内で、コミ戦本部を置く寸前のところまで行った経緯、そして、その試みが失敗した後に、世耕が小泉官邸の信頼を得て、選挙の指揮一切を任されるに至る過程まで――。

 もちろん、件の「小泉劇場」において世耕が描いたプランや、実際に出した指示、その結果についても、時系列に沿ってスリリングに活写している。

 たとえば、公示前のインタビューの中で「私は小泉さんに選ばれた」「静岡にはいつ入るかわからない」と言い放っていた静岡7区選出の片山さつき議員が、公示後「天竜川を渡って退路を断ちました」「この静岡7区に骨を埋めます」と、態度を一転させた裏には、世耕コミ戦による強力な指導があった。結果として片山は、一言一句に至るまで、世耕コミ戦が用意したコメントを読み上げる形で選挙戦を乗り切ったという。

 また、小泉首相の演説内容を郵政一本に絞り、年金問題のフォローについては竹中郵政担当相や与謝野政調会長に振り分けたのも、コミ戦による色分け戦略だった。

 面白い。なんだか活劇を見るようだ。世耕劇場。

対処方法はひとつだけ

 当然のことながら、本書は世耕をヨイショするために書かれた本ではない。が、結果としては、世耕の辣腕ぶりをたたえる書物になっている。

 ん? もしかして、著者は世耕に乗せられたふりをして、マニュピレーション(大衆扇動)の恐ろしさを訴えているのだろうか。

 いずれにしても、テレビがこの国を動かしているという確信において、著者と世耕は、まったく一致している。

 対処法は、テレビを見ないことしかない。

(文/小田嶋隆、企画・編集/須藤輝&連結社)
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by deracine69 | 2007-07-23 23:59 | 政治  

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