8・15靖国*参拝見送りは当然だが(8月12日)

8月12日 北海道新聞

 安倍晋三首相が八月十五日の靖国神社参拝を見送る方針を固めた。

 首相に右ならえするかのように、閣僚も全員が参拝しないと表明した。

 参院選で惨敗し、政権批判が一段と強まる中、いらぬ波風は立てたくない。改善に向かっている中国や韓国との関係も悪化させたくない-。首相や閣僚にはそんな思惑があるようだ。

 毎年、首相が参拝するかしないかばかりに関心が向きがちだが、他の閣僚なら見過ごしていいという問題ではない。靖国神社の性格や靖国が掲げる歴史観、憲法の政教分離原則を考えれば参拝見送りは当然のことだ。

 ただし、これがその場しのぎのものなら参拝はいずれまた復活する。

 この半世紀、終戦記念日に閣僚が一人も参拝しなかった年はない。今年は異例ということになるが、異例のままで終わらせてはいけない。

 靖国には侵略戦争を指導したA級戦犯が合祀(ごうし)されている。その戦争を「自存自衛の戦い」と正当化する歴史観も靖国ならではのものだ。政治家の参拝が歴史認識を問われるゆえんである。

 とりわけ終戦記念日の参拝は象徴的な意味を持って受け止められる。一市民が戦没者を慰霊するために靖国に足を運び手を合わせることと、同列に論じるわけにはいかないのだ。

 昨年は小泉純一郎氏が中曽根康弘氏以来二十一年ぶりに首相として終戦記念日の参拝を強行し、国内外から厳しい批判の声が上がった。

 中曽根氏の後の歴代首相がこの日の参拝をしてこなかったのは、政治家としての配慮があったからだろう。

 安倍首相は小泉氏以上に靖国への思い入れが強い。過去には毎年のように終戦記念日の参拝を重ねてきた。

 官房長官だった昨年は、秋に首相のいすを賭けた自民党総裁選を控えて論議を呼ぶのを避けようとしたためか、早々と四月に済ませている。今年の春の例大祭には、私費で「真榊(まさかき)」と呼ばれる供え物を奉納した。

 そうした私情を抑え参拝を控えてきながら、首相は参拝についてするともしないともいわない「あいまい戦術」を貫いている。

 なぜ「参拝しない」と明言できないのか。日ごろ、自分の思いを声高に言い立てる首相らしからぬ態度だ。

 首相は、中国や韓国などの外国の意向に参拝が左右されるべきではない、との考えも示している。

 侵略や植民地支配の歴史を忘れない近隣の国々の感情を無視するような物言いに聞こえる。

 そこに漂うのは国家主義的、復古主義的な気配だ。参院選の結果は、首相のそんな政治理念の危うさに警戒心を抱いた民意の反映でもあった。

 首相らに靖国参拝を見送らせたのは国民だったといってもいい。
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by deracine69 | 2007-08-12 08:00 | 政治  

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