体力の限界 突然の決断

所信表明2時間後 麻生氏に辞意
2007年9月13日 読売新聞

f0013182_11354444.jpg 12日午後5時半前。安倍首相は首相官邸の玄関を出て、公邸に向かった。遠巻きの記者団から「悔いはありませんか」と呼びかけられると深くうなずき、無言のまま、ハイ、と口を動かした。緊迫の辞任表明記者会見から約3時間。足取りは重く、肩からはすっかり力が抜けていた。
 
 これより2日前の10日午後。安倍の辞意をだれよりも早く知ったのは、自民党の麻生幹事長だった。

 「テロ対策特別措置法の改正案は、やはり私の下で通すのは厳しいでしょうか」

 国会内の総理大臣室で、安倍は麻生と向き合うと、こう問いかけた。辞任を示唆する安倍の言葉に仰天した麻生は「このタイミングで辞めるのはいかがなものか。テロ特(テロ対策特別措置法の延長の成否)は、まだまだこれからの話だ」と慰留した。

 だが、安倍の表情は硬いままだった。この日、シドニーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を終え、午前6時過ぎに羽田空港に戻り、公邸で3時間余り休んだだけだった。2時間前には、参院本会議場で、議席の半分以上を占める野党議員から激しい怒号が飛ぶ中、所信表明演説をやっと読み上げたのだ。疲労のあまり、力を入れていた北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)のくだりを読み飛ばした。

 演説後、次の議事は首相の出席が不要な人事案件だったが、ひな壇の首相席に戻った安倍は、なぜか立ち上がらない。

 「まだ居座るのか」

 ヤジが飛んだ。参院の事務次長に促され、混乱した安倍はようやく席を立った。

 安倍―麻生会談はわずか22分間で終わった。麻生は口を真一文字に結び、部屋を出た。「安倍退陣」が固まった瞬間だった。


 辞任表明の記者会見を終えて玄関を出ると、午前中の土砂降りがうそのような青空だった。ひんやりした空気の中、安倍は秘書官5人らを連れ、ゆっくりと公邸へ歩いた。8月25日にインドなど歴訪から戻って以降、「戦後最年少」の首相就任を誇った安倍の足取りからは、躍動感がすっかり影をひそめていた。だれもが無言だった。

公邸に往診度々 官房長官に「相当悪い」

 安倍首相は8月19~25日にインドネシア、インド、マレーシアを訪問した。その前から体調が悪かったが、3か国歴訪で「ひどい食あたり」(周辺)になった。

 安倍はもともと胃腸が弱く、以前からカレーなど香辛料の多いものは避けていたが、訪問中は和食に切り替えた。帰国後もおかゆ中心の食事が続き、体重は落ちる一方だった。毎夜のように首相公邸で医者の診察を受け、時には点滴を打った。

 安倍が苦悩を深めたのは、8月27日の内閣改造に向け、閣僚候補の「政治とカネ」の問題などを調査する「身体検査」の結果だった。問題を抱える候補が多く、「首相はそのリストを見て困惑した。5閣僚も留任させるつもりはなかったが、やむを得なかった」(周辺)という。

 改造直後の9月3日には、遠藤武彦農相(当時)が補助金の不正受給問題で辞任した。7日からのシドニーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)出席も、安倍には体力的に限界に近かった。

 9日のシドニーでの記者会見では、インド洋での自衛隊の補給活動継続に、「職を賭(と)して取り組む」と語ったが、この時点で辞任を決断していたわけではない。同行筋は「補給活動の継続だけはやり切る覚悟を感じた」と語る。

f0013182_11383945.gif しかし、10日に帰国した安倍を待ち受けていたのは、臨時国会の今後の混乱を見越した野党の厳しい批判と与党の不満だった。安倍の周辺は「APECから戻って国会に出て、『この体力では国会を乗り切れない。判断を誤ってもいけない』と決断した」と語る。

 10日午前、安倍は与謝野官房長官から、自衛隊活動を継続する方策の説明を受けた。テロ対策特別措置法に代わる新法案などを熱心に説明する与謝野に、安倍はぽつりと「それでも事態は厳しいんだよなあ」と漏らした。

 11日午前には、安倍の盟友である自民党の菅義偉選対総局長が、「異変」を察知して首相官邸を訪ねた。励ます菅に、安倍は「『職を賭して』というと『退陣』って言われるんだよな……」と力無く答えた。菅は「もう説得の限界を超えていた。どうしようもなかった」と首相の落ち込みぶりを周囲に語った。

 安倍はこの日の政府・与党連絡会議の後、公明党の太田代表を執務室に呼んだ。安倍の辞意を聞き、翻意を促していた麻生は、安倍に「太田さんに言うと表に出る」とクギを刺した。それでも安倍は太田に「下血がある」と体調の悪さを明かしたが、党首会談は、新法案などの意見交換に終わった。

 12日昼、安倍が呼びかけた民主党の小沢代表との党首会談が不可能な状況になった。官邸を訪れ、「党首会談は難しい」と伝えた自民党の大島理森国会対策委員長、小坂憲次国対筆頭副委員長に、首相はこう語り出した。

 「重大なことを申しあげなければならない。インド洋での給油活動を継続する必要がある。なんとしても実現するため、自分としては重大な決意をする」

 驚いた大島が「まだ幹事長にお伝えになっていないのですか」と問いかけると、安倍は「これから電話で話すつもりだ」と答えた。大島は「幹事長にお伝えになって下さい。それを正式なものと受け止めさせていただきます」と述べ、官邸を後にした。

民間閣僚に謝罪

 与謝野は、安倍が記者会見する約1時間前に辞意を打ち明けられた。

 与謝野が「首相のご決意を翻せないにしても、後に混乱が残らないようにする努力はご自身もやっていただかなければ……」と諭すと、安倍も「そのつもりだ」と応じた。

 与謝野は辞任表明を受けた12日夕の記者会見で、「首相がたった一つ、自分の口から言わなかった問題は、やはり健康状態だろう。アジアへの旅行以降、大変厳しいものがあり、誰にも言わずにじっと耐えてきた」と安倍の健康問題に触れた。この直前、与謝野は安倍に執務室に呼ばれ、「実は体調が相当悪い。記者会見で紹介して下さい」と指示されていた。

 一方、安倍はこの日、「週刊現代」から取材を受け、午後7時までに回答を求められていた。安倍の後援会が父親の安倍晋太郎・元外相から引き継いだ資産に対する、相続税の脱税疑惑に関するものだった。安倍事務所は12日、「報道は全くの誤りだ」とし、週刊現代を発行する講談社に記事不掲載を求める文書を発表したが、こうした対応が安倍の心労に拍車をかけたと見る向きも多い。

 安倍は辞任表明に先立ち、執務室に5人の首相秘書官を集め、「申し訳ない。『主張する外交』が立ちゆかなくなった」と頭を下げた。辞任表明後には、改造のもう一つの目玉として選んだ増田総務相に電話し、「民間から来ていただいたのに、こんなことになって申し訳ない」と謝罪した。(敬称略)

異例の退陣劇

 今回の首相の退陣表明は、内閣改造の16日後、所信表明演説で政権への意欲を示してから2日後という、過去に例のないタイミングだった。

 首相が突然、退陣表明した例は、1996年1月に村山首相が恒例の伊勢神宮参拝を行った翌日、辞意を表明して退陣したケースがある。94年4月には、細川首相が政治資金疑惑などの責任をとって、国会開会中に辞任した。89年4月には竹下首相が、リクルート事件などによる政局混迷の責任をとって辞意を表明。新年度予算の成立を待って約1か月後に内閣総辞職した。

 内閣改造直後の退陣表明としては、74年11月11日に発足した第2次田中再改造内閣で、田中首相が約2週間後の26日に金脈問題で辞意を表明した例がある。

所信表明演説
 臨時国会や特別国会で首相が衆参両院の本会議で行う演説。通常国会冒頭に行う施政方針演説が、次年度予算案に反映させた政府全体の方針を説明するため、総花的になりがちなのに対し、首相の独自色がより強く反映される傾向がある。

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by deracine69 | 2007-09-13 10:00 | 政治  

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