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【首相交代】(上)新YKK“謀議”で「反麻生」

9月24日13時9分配信 産経新聞

■ いつの間にか町村派主導

 福田康夫を第22代総裁に選出した23日の自民党両院議員総会。福田が滝のようなフラッシュを浴びる中、両院議員総会長の谷川秀善が首相、安倍晋三のメッセージを読み始めると会場は急に静まりかえった。



 「首相の職を辞すことにより、今日の政治空白を招いたことに対し、麻生太郎幹事長をはじめ、自民党所属国会議員、党員・党友、そしてすべての国民の皆さまに心よりおわび申し上げます」

 メッセージで実名が挙がったのは麻生だけ。「自分が麻生支持を表明すれば、逆に麻生に迷惑がかかるかもしれない」と考えた安倍の最大限の配慮だった。それを感じ取った麻生は微動だにせず、目を潤ませた。

 北朝鮮問題などで安倍と敵対してきた福田が総裁選で圧勝したことは、自民党が「戦後レジームの脱却」を掲げた安倍路線を否定したことを意味する。「安倍路線の継承」を掲げた麻生は8派閥に包囲網を敷かれ、締め上げられた。あまりに厳しい選挙戦に、麻生陣営のある閣僚経験者は「今回の総裁選にスポーツマンシップはない。ケンカだ」とこぼした。

 その麻生が、下馬評をはるかに上回る132票もの国会議員票を獲得したことは、自民党に大きな衝撃を与えた。両院議員総会終了直後、握手をしようと追いかけた福田を振り払うかのように、麻生は演壇を降りた。自民党が昭和40~50年代の「角福戦争」のような闘争に突入していくことを予感させる瞬間だった。

 福田陣営が党本部1階で開いた報告会には、支持議員約60人が集まった。津島派会長で元厚相の津島雄二、山崎派会長で元副総裁の山崎拓らは、「夢か幻か…」と目を潤ませる福田を満面の笑みで迎えた。

 しかし、福田擁立の立役者である元幹事長の古賀誠や加藤紘一の姿はなかった。元首相の森喜朗は、腹心の前幹事長、中川秀直に「ご苦労さん」と静かに声をかけ、福田と握手を交わしたが、笑顔を見せることはなかった。

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 「11月にはテロ対策特別措置法の審議が行き詰まるだろう。そこがチャンスだ」
 安倍が辞任を表明する前日の11日夕、東京・紀尾井町のホテルニューオータニのフィットネスクラブ「ザ・ゴールデンスパ」で加藤がこうささやくと、山崎は深くうなずいた。

 11月1日に期限切れとなるテロ特措法の延長をめぐり、安倍政権が窮地に追い込まれるのは間違いない。それまでに安倍包囲網を構築し、一気に倒閣する。これが加藤が描いたシナリオだった。

 加藤は11日昼、山崎との密会に先立って「新YKK」のもう一人、古賀と東京・赤坂の日本料理店で会っていた。3人は安倍包囲網構築を掲げていたが、今年5月ごろから古賀は加藤らと距離を置くようになっていた。

 「山崎は『うちの派閥は安倍内閣への人材派遣会社だ』などと、はしゃいでいるじゃないか」

 「倒閣を成就させるには古賀を引きずり込むしかない」と考え、必死の説得を試みる加藤に、古賀は山崎への不信感をあらわにした。

 なかなか首を縦に振らない古賀に、加藤は山崎から7日にかかってきた電話の中身を打ち明けた。「訳の分からぬうちに安倍の続投が決まり、麻生が次期政権に向け露骨な動きをしている。このままでいいのか」

 「麻生」の名に古賀は目つきを一変させた。

 「麻生の渋谷の邸宅は門から玄関まで何分もかかる。そんな邸宅に住むやつに庶民の気持ちが分かるはずない!」

 同じ福岡県選出で「マコちゃん」「タロちゃん」と呼び合う仲だった2人の関係はこれほど冷え切っていた。

 3人は11日夜までに、次期総裁選は麻生以外の候補を担ぐことで合意した。世襲ではない「たたき上げ」の政治家ばかりで11月10日前後に会合を開き、次期総裁選に向けて本格的に動き出すことも決めた。会合に誘う相手として、総務会長の二階俊博、国対委員長の大島理森、津島らの名が挙がった。

 ところが翌12日午後、安倍は突然辞任を表明。具体的に煮詰まっていなかったとはいえ、「反麻生」で一致した3人の謀議が、福田擁立の受け皿となった。
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 福田擁立にはもう一つ動きがあった。安倍の後見人である森である。福田の父である元首相、故福田赳夫の薫陶を受けた森はかねて「清和政策研究会(町村派)の首相候補はまず福田、次が安倍」と考えており、順番が逆になったことに複雑な思いを抱いていた。

 森が安倍の辞任表明を知ったのは外遊先のパリだった。慌てる森に一本の国際電話がかかった。「メディア界のドン」といわれる男からだった。

 「すでに山崎や古賀、前参院議員会長の青木幹雄は福田支持でまとまっている。あなたの残る仕事は派内の調整だけだ」

 森は青木に電話で意向を確認するとともに、町村派幹部には「他派閥に迷惑をかけているのだから自重しろ」と命じた。だが、すでに自民党内では「森は福田擁立で腹を固めた」との情報が流れていた。

 13日朝に成田空港に到着した森は同日昼、青木、山崎らとひそかに会談し、福田擁立を決めた。町村派がこの事実を知ったのは夜になってから。ある中堅議員は「昼間は『町村(信孝)擁立』と聞いていたのに、いつの間に入れ替わったんだ」と首をひねった。

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 急速に党内をまとめ上げた福田擁立劇は、次期総裁最有力といわれた麻生を一気に引きずり降ろしたが、遺恨も残した。

 町村派を除く各派は、調整型の福田をそろって支持することで、森、小泉純一郎、安倍と続いた「清和研政権」色を薄めたいとの思いがあった。だが、当初、選挙対策本部が置かれたのは町村派事務所のある「グランドプリンスホテル赤坂」。陣営を取り仕切ったのは少し前まで安倍シンパを名乗っていた町村派議員で、司令塔は森と中川秀直だった。選挙対策本部は途中で自民党本部内に移ったが、町村派主導の選挙戦は最後まで続いた。

 福田擁立劇の主役の一人は「森が院政を続けるために、われわれが利用されたのではないか。なんかしっくりこない話だ」と不満顔。別の派閥領袖級も「大量に麻生に票が流れたのは町村派への批判の表れだ」と打ち明ける。

 各派領袖からは「自分で果たせる役割があるなら一緒になって支え抜く」(古賀)、「われわれの意見を聞き、バランスの取れた人事をやってほしい」(山崎)など、さっそくポスト要求の声が上がっている。福田が党役員人事、組閣でさじ加減を誤れば、各派の不満が噴出する可能性もある。

 ある閣僚経験者は「挙党態勢というのは意外ともろいものなんだ」とうそぶいた。総裁選は、自民党混迷の序幕にすぎないのかもしれない。


首相交代】(中)クーデター説を自ら否定したかった安倍首相 政権に早くもきしみ
9月24日22時25分配信 産経新聞


 東京・信濃町の慶応病院総合科学研究棟1階の会議室。12日ぶりに公の場に姿を現した首相、安倍晋三に保守派論客として鳴らした絶頂期の面影は消えていた。
 「所信表明直後という最悪のタイミングに辞意表明したことを深くおわび申し上げます。辞任を決意した最大の要因である体調の変化を触れず非常に申し訳なかった…」
 髪を整え、濃紺のスーツに身を包んでいたが、やせたためにワイシャツの首元は緩み、言葉は途切れがちだった。
 安倍がこれほどやつれた姿をカメラにさらしたのは、25日の国会の首相指名を前に国民に「おわび」したかったことが最大の理由だが、実はもう1つあった。
 総裁選中に流された前幹事長の麻生太郎、官房長官の与謝野馨に向けられた「謀略情報」を否定するためだった。元首相の森喜朗の制止を振り切っての決断だった。
 「麻生は安倍を続投させ、次期総裁への足場を築こうとした」「安倍は辞任直前に『麻生にだまされた』と漏らした」-。
 このような情報は新総裁の福田康夫が出馬を決めた13日夜に突然流れ始めた。これを知った麻生は当初、「誰がそんなくだらないウソを…」と取り合わなかったが、情報の出所を知り、耳を疑った。安倍と親しい町村派幹部だったからだ。
 麻生は14日午後、総裁選の報告をかねて、安倍の見舞いに病院を訪れた。自らの窮状を訴えたい思いもあったが、やつれ果てた安倍の姿を見て言葉を飲み込んだ。「おれは首相がこれほどの病を我慢して頑張ってきたことに気づかなかったのか。本当に申し訳ないことをした」。謀略情報で麻生が反撃すれば、安倍を傷付けることにもなりかねない。こう考えた麻生は一切のデマに口をつぐむようになった。
 謀略情報は与謝野にも及んだ。「麻生と与謝野は安倍をカヤの外に置き、勝手な人事を推し進めた」。温厚な与謝野もこれには激高した。
 18日午前、首相不在で開かれた閣僚懇談会後、与謝野は外相の町村信孝を呼び止めた。
 与謝野「町村派がとんでもないウソを流している。知ってて止めないならばあなたも同罪だ!」
 町村「誰のことを言っているんだ」
 与謝野「言われなくても分かるだろう」

 入院後、1週間は点滴だけで栄養をとっていた安倍だが、次第に容体は安定し、総裁選の情報もジワジワと耳に入るようになってきた。「麻生さんに申し訳ないことをした」。安倍は周囲にこう漏らしたという。
 記者会見の最後に、「麻生・与謝野謀略説」を問われた安倍はきっぱりとこう言った。
 「そういう事実はまったくありません。麻生氏も与謝野氏も本当によくやっていただいた。感謝しています」
 その厳しい目つきには、病に倒れたがゆえに自らの政治路線を自民党に否定された無念さがにじみ出ていた。
   × × ×
 「チーム自民党が一丸となって、この難局を乗り切りたい」
 安倍首相の会見に先立つ24日正午。自民党本部6階で開かれた臨時総務会では、総務ら約30人に総立ちで迎えられた新総裁の福田康夫がにこやかにこう切り出した。
 福田に指名された新幹事長の伊吹文明は、満面の笑みで「『チーム安倍』ではなく『チーム自民党』です」と安倍政権を皮肉った。
 福田は、党則を変え、「党三役」を「党四役」にし、選対総局長に代わる選対委員長に古賀誠が就任することを説明。古賀の笑顔に対し、再任された総務会長の二階俊博は最後まで仏頂面を崩さなかった。
 「党の重要な仕事をやっていただきたい」
 福田が、伊吹や二階らに電話で新役員への就任要請したのは、23日午後11時ごろ。福田はポストまでは明言しなかったが、念頭にあったのは二階が選対総局長、古賀が総務会長だった。
 ところが、24日午前、4人が党本部4階の総裁室に入って約1時間半の間に古賀、二階の人事はひっくり返った。二階の仏頂面の理由はここにある。総裁室から出た古賀は、「自分で言うのもおかしいが、『選挙は自分が一番適任だ』と総裁に申し上げた。まあ私の希望だ」と語った。
 福田擁立の立役者であり、福田周辺から幹事長職を打診されていた古賀にとって、総務会長は納得できる役職ではなかった。総務会は自民党の最高意思決定機関だが、日常業務で実権は少ない。党務にたけた古賀はそれを熟知しており、「かつての総務会は全会一致だったが、最近は多数決になったから総務会長も飾りみたいなものだ」と周囲に明言していた。次期衆院選に向け、党務全般を取り仕切る幹事長に比べ、総務会長は「飾り」に映ったのかもしれない。
 その点、選対総局長は格落ちだが、選挙対策の実務を取り仕切る仕事だ。古賀は「名より実」を選んだわけである。
 福田は古賀の要望を全面的に受け入れ、総裁直属機関の選対委員長として格上げした。党四役入りするため、警護官(SP)もつくことになる。
 この決定を聞いた閣僚経験者は「総裁直属機関ということは幹事長の意向も無視できる。しかもゴネ得を許してしまった。各派領袖はますますゴネ出すぞ。福田は就任早々大変なミスをしてしまった」とつぶやいた。
 古賀は総務会後、伊吹や二階らに「選挙はみんなでやることだから協力をお願いします」と頭を下げたが、この言葉に1人は「さっそく命令する気か」と憤慨した。政権のきしみは早くも始まっている。(敬称略)


【首相交代】(下)福田内閣誕生 初入閣1人 再任13人
9月26日8時2分配信 産経新聞


 ■麻生氏固辞 挙党の思惑外れ

 「本院は福田康夫君を内閣総理大臣に指名することを決しました」

 25日午後1時半。衆院議長、河野洋平の声が衆院本会議場に響くと、福田は席を立ち上がり晴れやかに一礼した。与党から大きな拍手がわいた。

 首相を退任した安倍晋三は福田の様子を最後列でジッと見つめ続けた。昨年9月26日に同様の拍手を浴びた自らの姿を重ね合わせていたのだろうか。安倍は午前中の安倍内閣最後の閣議では「山積する課題を前に去るのは断腸の思いだ」と吐露していた。

 安倍が本会議場に姿を現したのは午後1時3分。すでに開会を知らせるベルは鳴り終え、ほとんどの議員は安倍の入場に気づかなかった。前幹事長の麻生太郎が「本当にお疲れさまでした」と歩み寄ると、安倍は立ち上がろうとしたが、麻生は「そのままで…」と押しとどめ、深く頭を下げた。2人は握手で別れたが、安倍が本会議場で笑顔を見せたのはこの一瞬だけだった。

                   ◇

 24日朝、東京・神山町。久々に自宅でゆっくりしていた麻生は枕元の携帯電話の着メロに起こされた。声の主は福田の所属する町村派重鎮だった。

 「福田から何らかの入閣の打診があるかもしれないが、その時は受けてもらえないか」

 麻生は「私は長い間要職を与えていただいたので、しばらくゆっくりしようと思っています」と丁重に断ったが、声の主は「党が一致結束するためにもよろしく頼むよ」と念を押した。

 この数時間後、再び麻生の携帯電話が鳴った。今度は福田だった。

 福田「ぜひ内閣の一員として協力していただきたいのですが…」

 麻生「大変有り難いお言葉ですが、私は一政治家として内閣に協力したいと考えています。それよりも私を支持してくれた甘利明(経済産業相)や、鳩山邦夫(法相)らをぜひよろしく」

 福田「まあ、一晩よく考えてください」

 穏やかな会話の中に、福田と麻生の政治的思惑が交錯した。

 福田にとって、総裁選で197票を獲得した麻生は「野放しにできない」存在だった。将来の「福田降ろし」の温床ともなりかねない麻生支持勢力を骨抜きにするためには、麻生自身を閣内に取り込むのが最善の一手だった。

 これに対して、麻生はそうやすやすと福田に取り込まれるわけにはいかなかった。派閥の締め付けに耐えて支持してくれた議員の気持ちを考えず、自らが入閣すれば求心力が一気に弱まるからだ。

 福田は25日の衆院本会議場でも「考えてくれましたか」と麻生に握手を求めたが、麻生の気持ちは変わらなかった。

 官房長官に就任した町村はよほど悔しかったとみえ、初会見で「長い閣僚生活にくたびれたならば、なぜ首相に立候補したのか」と皮肉った。

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 24日に行われた「党四役」人事には早くも不満の声が噴出した。特に第2派閥ながら安倍政権に続いて派内から党四役を出せなかった津島派は、財務相の額賀福志郎が総裁選出馬断念に追い込まれた経緯もあるだけになおさらだ。

 25日昼に都内で開かれた津島派の臨時運営幹事会。会長の津島雄二は「四役に代表選手を送り込めず申し訳ない。福田総裁は閣僚ポストでできるだけ配慮すると言ってくれた」と釈明したが、数名が「党執行部にきっちりモノが言える派閥運営をすべきだ」と不満を爆発させた。

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 衆院での首相指名選挙直前に、福田は国会内で開かれた公明党の代議士会に顔を出した。

 「ここに来ても特別な所に来た気がしない。しっかり協力関係を築き、誠心誠意つとめたい」

 久々のハト派政権を歓迎する公明党は大きな拍手で福田を迎えたが、続いてあいさつした自民党幹事長の伊吹文明の言葉に、前代表の神崎武法らの笑顔が一瞬消えた。

 「政策は大事だが、人間の信義というものがある。苦しい時も約束を守る。うれしい時に有頂天になり、苦しい時にした約束を忘れるようでは、どんなに政策が立派でもこういう人間関係はうまくいきません」

 伊吹にも拍手が送られたが、ある公明幹部は「『自民党の弱みにつけ込むようなマネはするな』とクギを刺しにきたのか」といぶかる。

 7月の参院選で愛知、埼玉、神奈川で現職候補を落とす歴史的大敗を喫した公明党は、その敗因を「自民党に追随しすぎ、ブレーキ役を果たさなかったためだ」と結論づけた。支持母体の創価学会からも「閣外協力も視野に入れるべきだ」との声も上がる。

 13日昼に開かれた公明党衆院議員団会議では、国土交通相の冬柴鉄三が「自民党といつまでも『親密なだけの関係』を続けていてよいのか。自民党は選挙で応援してほしいだけなのかもしれない。考えを変えていかなければいけない」と言い切った。長く自民党とのパイプ役を務め、「自民党よりも自民党らしい」といわれてきた冬柴の発言だけに周囲は驚いた。

 閣僚差し替えを最小限にとどめ地味なスタートを切った福田政権。25日夜、福田と公明党代表の太田昭宏との初の党首会談がなごやかに行われたが、自公の絆(きずな)にはすでにほころびが見え始めている。(敬称略)

 =この企画は石橋文登、水内茂幸、佐々木美恵が担当しました。

by deracine69 | 2007-09-24 13:09 | 政治  

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