小泉チルドレン再配備

2007年10月9日 AERA

 東京・永田町にある自民党本部。4階の廊下の突き当たり奥には自民党総裁室があり、手前に幹事長室とその応接室、さらに隣接して「選対総局長室」があった。

 その選対総局長室が、隣の幹事長応接室まで進出することになる。総局長室から格上げされた「選対委員長室」の新しい主が、「人と会う場所がほしい」と、幹事長応接室のスペースを借りて自分用の机とソファを運び込むことになったからだ。

 その主とは古賀誠氏である。

 総裁選でいちはやく福田氏勝利への流れをつくった。総務会長の要請を断り、選挙の実務を担当する選対総局長の就任を希望。これまでの選対総局長は幹事長の指名だったが、選対委員長は総裁の指名と変わり、「党四役」となった。

「こわもて」が神話化

 部屋と同じように、権限の一部も幹事長から選対委員長に譲渡されるとみられている。これまで選挙を取り仕切るのが幹事長の重要な役割の一つだったが、それが、選対委員長のものになるというのだ。古賀派の議員は、

「実質的な公認権を選対委員長が握ることになる。幹事長の伊吹(文明)さんは野党との政策論争などの表の顔になり、実際の権限は古賀委員長のものだ」

 と盛り上がる。一方の伊吹氏は、

「選対委員長は公認権を持つものではない」

 と早くも綱引きが始まった。

 古賀氏のような政治家は、永田町ではいまや希少種である。

 福岡の炭鉱町で生まれ、2歳のときに召集された父親はレイテ島で戦死し、古賀氏は日本遺族会の会長でもある。母親は行商をしながら古賀氏を育てた。「マザコン」を自認する。参院議員秘書からのたたき上げで、元幹事長の田中六助氏を師と仰ぎ、いまも師の著書を持ち歩く。

 官僚出身者の多い「公家集団」宏池会の中にあって、党務・国対畑が長かった異色の存在。だからこそ、「保守本流」と「宏池会」への思い入れは非常に強く、派閥会長への就任は悲願だった。信義と義理人情を重んじ、あくまでも黒衣にこだわり、その美学こそを大事にする。

 口はかたい。よけいなことは一切しゃべらず、表には出たがらない。弁舌なめらかだけれども軽い議員ばかりが多くなった政界では、それが古賀氏の重みをより増してきた。しゃべらないことが憶測をよび、より古賀氏を大物にみせた。虚像がふくらみ、「こわもて」として神話化していた面は、小沢一郎氏とも通じる。

「たたき上げ」同士がつなぐ縁で、野中広務元幹事長にかわいがられ、野中氏が官房長官のときに国対委員長として自自公連立に動いた。公明党や創価学会、野党ともパイプを持ち、与野党の攻防で政局が緊張してくると国会を離れて隠密裏に野党の国対委員長と会合を持ったこともあった。ホテルで野党の関係者と会っているのを見られないように、厨房を通ってホテルを抜け出したこともある。

野田聖子のキツい一言

 2000年の「加藤の乱」では、反加藤で派閥の一部をまとめ、その功績を買われて、野中氏の後継の自民党幹事長に。当時二人は同じ議員宿舎住まいで、古賀氏は階上の野中氏の部屋に夜な夜な通っていた。

 だが、当時の自民党は森喜朗内閣の末期で、支持率が一ケタになるなど青息吐息の状態。その閉塞感を打ち破るように小泉純一郎内閣が発足した。古賀氏は野中氏擁立を画策するが実らず、古賀氏の幹事長も半年足らずで終わった。

 幹事長時代には野田聖子氏を筆頭副幹事長に抜擢した。2005年の郵政民営化法案の衆院採決時、野田氏は最後まで反対を貫いたが、古賀氏は採決直前に退席した。

 野田氏が無所属で選挙を戦い、永田町に戻ってきた後、ある会合の席で二人は隣り合わせた。

「私は今までオヤジころがしでここまできたなんていわれましたけど、今回はそれ以外の力で勝ち上がってきました。偉そうなことを言うようだけど、古賀さんとの関係もこれでイーブンですよ」

 野田氏がそう言うと、古賀氏は黙ったままだったという。

 古賀氏は小泉内閣で財務大臣を打診されたが断り、以降ずっと無役の日々。その一方で、野中氏が古賀氏に目をかけたように、古賀氏が自分に似たタイプの政治家として目をかけていた菅義偉氏は、対照的に頭角を現す。安倍晋三内閣誕生前には再チャレンジ議連をつくって安倍首相実現へと奔走した。そして総務大臣に就任、閣僚の不祥事が続く中で、最後まで安倍氏を支え続けた。

特注ワインと英国屋

 菅氏は、安倍改造内閣では選対総局長になっていた。つまり古賀氏の前任者というわけだが、古賀氏は委員長に就任したあと、菅氏を議員会館の自室によんだ。

「おれの下で働いてくれねえか」

 菅氏はこれまで通り、選対委員長室に陣取ることに。

 ある政界関係者は、

「菅氏は総裁選で麻生氏の推薦人になったこともあり、無役と思っていたら古賀氏に請われた。古賀氏にとって菅氏は手ごわい存在で、敵にまわしたくないからだ」

 と、古賀氏が持つ意外な「弱気な顔」を解説する。

 外見も、いかにもこわもてで、古い自民党。だが、おしゃれで、センスにもこだわる。誕生日の贈り物は、相手の名と自分の名をラベルに刷った特注のワイン。スーツは和光か英国屋のフルオーダー。国対委員長時代は多忙で店にも行けなかったため、委員長室に仕立屋が採寸に来ていた。

 シャツもオーダーで、左右両方の胸にポケットをつけてもらう。そこに折りたたんだお札をいれておき、煙草を買ったりちょっとした心付けを渡すときにさっと抜き出すのが流儀。財布を内ポケットにいれておいてはスーツも膨らむし、いちいちそこから取り出すのは野暮だ、と考えているらしい。

 そんな古賀氏も長年の「無役」に飽き飽きしていたのか、今回の総裁選での動きは電光石火だった。12日に安倍首相が辞任を表明するといちはやく青木幹雄氏と連絡をとり、翌日に派閥の議員を集めると、自分への一任をとりつける。そして福田氏、山崎拓氏、谷垣禎一氏とも連携して、一気に流れを決めてしまった。党人派、縁の下の力持ちの面目躍如だった。

 ある古賀氏周辺は、

「古賀氏は1年前、安倍政権の誕生時からこの事態を予想してシミュレーションしていた」

 と明かす。

「安倍首相は1年以内にきっと解散するか、政権を投げ出すに違いない。そのときにどうやったら宏池会を守れるか、だれが後継になったらいいか考えていた」

 そう、古賀氏の考えの中心には常に宏池会があるのだ。すでに党本部の選対委員長室は古賀派の議員が多く出入りし、宏池会のサロンのようになっている。

「チルドレンに冷たい」

 古賀氏が選対委員長に就任したことで、小泉チルドレンたちの再配置に乗り出すという見方が強い。チルドレンには、野田氏と岐阜1区でぶつかった佐藤ゆかり氏をはじめ、小選挙区で負け、比例で復活したバブル当選組も多い。古賀氏側近は断言する。

「古賀氏は素人同然のチルドレンには冷たい。小選挙区で勝ち上がっている人が優先なのは当然」

 対する民主党の小沢氏も次の総選挙での政権交代をめざし、近々また地方行脚に出る。二人はどちらも黒衣役が似合い、伝統的自民党の血をひく政界の希少種。

 古賀氏に近い山本幸三衆院議員は言う。

「素人政治がこれでようやくプロの政治に戻る」
[PR]

by deracine69 | 2007-10-09 23:59 | 政治  

<< 大阪市営地下鉄運転士 また飲酒検知 <麻生太郎氏>「何度でも戦う」... >>