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福田首相の限界~改革すべき統治構造に自ら乗ってしまった

2008年3月21日 nikkei BPnet

(田中 秀征=福山大学教授)

小泉純一郎政権をバスに例えれば、行き先はもちろん「郵政の民営化」。バスの前に「郵政民営化行き」と大きく標示してある。それどころかバスの腹にも後ろにもそう書いてある。その上、街宣車のように、運転手の小泉さんが大声で叫びながら走る。

小泉バスは郵政の民営化が終着点。運転手は降りてしまうし、バスもほかには行かない。

乗客である国民は、特に郵政民営化に行きたかったわけではない。しかし、運転手があまりに確信をもって走るものだから、次第に乗客もそれに同調した。

小泉元首相は「行き先」を明らかにして走った

当初の世論調査では、郵政民営化に対する政策的関心は、わずか3%か4%にすぎなかった。これが、最終的には総選挙の最大のテーマに押し上げられた。

私は、郵政民営化に賛同したものの、それが「改革の本丸」であるとは今でも思っていない。ただ、バスの行き先をさえぎるさまざまな障害を押しのけて突き進んだ小泉運転手には心から敬意を表している。

小泉バスは、郵政民営化に向いながら、さまざまな課題にも取り組んできた。特に、経済の低迷を打開する道を開いたことは、歴史的に評価するべき業績と言ってもよい。

安倍晋三政権は、バスの行き先が多すぎた。どこから先に行くのかもはっきりしなかった。それに運転手の技能にも乗客は危うさを感じた。「小泉さんが熱心に乗車を薦めたから乗った」という乗客も多かった。その人たちも次第に途中で降りてしまった。年金記録問題や事務所費問題は、長年使っているバスの故障のようなもので、運転手の安倍さんの直接の責任というわけではない。だが、運転手に非難が集中してこのバスは早々と運行を停止した。

細川政権は、“特命性”を意識したから成り立った

ところで、福田康夫首相が運転する現政権の行き先はどこだろうか。それが必ずしもはっきりしていない。運転手は実直な人柄。運転も慎重で安全。しかし、行き先が分からなければ不安は消えない。「何を目指しているのか」、それがもっと明確であれば期待や支持が大きく広がるはずだ。

1993年の細川護熙政権は、8党会派の連立政権であった。“非自民”と言っても、離党した自民党の右派から旧社会党の左派までの寄り合い所帯。たとえ政権ができても早々に空中分解するのは目に見えていた。

そこで私は、政治改革という単一の政治課題を特別の使命とする政権の樹立を考えた。政治改革関連法案を1993年中に成立させるための政権である。細川氏もこれに同調して、「政治改革政権」を提唱し、そこに8党会派が結集した。だから細川バスの行き先はすこぶる明確だった。

私はこのころ、政権を「通常政権」と「特命政権」の2種類に分け、細川政権を典型的な特命政権と位置づけた。

思想基盤が同一で、国家目標(行き先)が明確であった時代、すなわち自民党の一党支配の時代の政権は、おおむね通常政権であった。しかし、90年代に入ってバブルが弾けて以降、冷戦終結後の目標のいまだ定まらない時代の政権。それも思想や政策の隔りが大きい政党による連立政権は、どうしても、政策の優先順位をはっきりさせなければならない。程度の差はあっても“特命性”が要請されるのだ。

福田首相の「行き先」はどこか?

郵政の民営化を特別の使命に仕立てて成功したのが小泉政権であった。

おそらく福田首相の政権像や首相像は、自ら秘書官を務めた70年代の父福田赳夫首相当時と変っていないのだろう。もしそうだとしたら、内外の環境が一変している「現在」に対処することはしょせん無理なのではないか。

今、内外の眼は、福田首相の「行き先」に注目している。それが明白でなければ、世界の目が、日本から離れていく。じり貧の道である。

今回の日銀総裁人事における首相のリーダーシップはとても褒められたものではない。新しい政権像や首相像を打ち出す絶好の機会を逸したのではないかと思う。政官が癒着した今までの統治構造そのものの改革が課題となっているとき、その統治構造に乗って政治をしようとするところに福田政権の本質的な限界があるのだと思う。

by deracine69 | 2008-03-21 12:00  

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