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船場吉兆バッシング報道の背後にある理由とは何か

2007/11/24 JanJan News 山本ケイ

「船場吉兆」自体は大阪市中央区の繊維問屋街にあり、目立たない店構えだ。今、マスコミが叩く「吉兆」と消費者がイメージする「吉兆」の間に差があり、その辺りを探るとなぜここまで船場吉兆が攻め立てられているのかが見えてくる。

 消費期限の改ざんや食材の偽装などでマスコミから猛烈なバッシングを受けている「船場吉兆」。同店自体は大阪市中央区の繊維問屋街にあり、本店は目立たない店構えだ。今、マスコミが叩く「吉兆」と消費者がイメージする「吉兆」の間に差があり、その辺りを探ると、なぜここまで船場吉兆が責め立てられているのかが見えてくる。

 世間の多くの人(消費者)が描く吉兆は「老舗」「高級」であり、商品や料理に信頼感があるという点だろう。消費者の批判は信頼への裏切りに対する行為が大半だ。しかしマスコミがこれだけ追及するのは、吉兆のもう1つの顔が果たしてきた役割があるからこそだと私は考える。

 吉兆の店舗のうち、高級料亭として営業する銀座にある東京吉兆本店をはじめとする店舗は、政財界大物御用達の店として日本の裏舞台を支えてきた。最近、週刊誌が取り上げた吉兆がらみの出来事で見ると2006年12月24日号の「サンデー毎日」は「水谷建設元会長“知人女性”の返金訴訟に発展!! 石原ファミリーに現金授受疑惑」の見出しで、石原東京都知事関連の疑惑の舞台として報じているほか、「中曽根、渡辺、氏家、海老沢、ドン4人吉兆会談の中身」(「フォーカス」00年2月16日号)、「森首相とマスコミ界のボス、料亭吉兆会談の中身」(「週刊新潮」00年11月16日号)などがあり、料亭吉兆がその料理よりも密談場として重宝されてきたことが伺える。

 さらに、京都吉兆嵐山本店総料理長の徳岡邦夫氏は「文藝春秋」06年2月号で吉兆が戦前にすでに株式会社化していたことについて、「関西の財界人の方々が徹底的にバックアップして、知恵も資金も情報も提供してくださったから可能だったことである。阪急グループの小林一三さん、アサヒビールの山本為三郎さん、日商岩井の高畑誠一さん、錚々たる方々が湯木貞一(吉兆創始者)をかわいがってくださったと聞く」と明かし、関西財界でも吉兆が果たした役割が大きいことが分かる。

 つまりバッシングの背景には「吉兆」という金看板に対する歴史や役割があり、船場吉兆そのものもさることながら、背後にある吉兆ブランドを多分に意識したものであることが見えてくる。そうでなければ幅広い営業展開をしているとはいえ、船場の問屋街に本拠を置く店がここまで責められることはなかっただろう。

 船場吉兆の報道について疑問を抱く人は少ないかもしれない。それは恐ろしいことだ。船場吉兆に対するマスコミの舌鋒は驚くほど鋭い。だがもっと新聞紙面やニュースの放送時間を占めなければならない数々の問題が、船場吉兆関連の記事や放送で削られていることが怖いのだ。
 
 たとえば11月16日付「朝日新聞」夕刊(大阪本社版)では船場吉兆への大阪府警の家宅捜索を1面トップで報じている。準トップは軍需専門商社・山田洋行の宮崎元専務が額賀財務相と宴席で同席し、久間元防衛相を接待していたことを認めたという記事。政界を巻き込む疑獄事件にさえ発展しそうな疑惑の重要証言こそ、トップ扱いになるべきではないだろうか。

 船場吉兆のあざむきは許せない。しかし、猛烈な報道がもはや反論の余力さえ失い、風前のともしびの料亭に向けられていることには強い違和感を覚える。マスコミ報道を時系列で見ると、刻々と責任の所在を求める論調が目立ち、司直の捜査を呼び込むような内容になっている。刑事事件に発展することについて世論を形成するかのような流れだ。マスコミが警察手帳も拳銃も持たない「ペンを持ったおまわりさん」と化していることを表している。

 現在、船場吉兆ではホームページに「お詫び」の文を掲載し、フリーダイヤルを設けて苦情や意見に対応している。同店によると、問題が発覚してからは電話は鳴り止まず、その大半は「お叱りの言葉」という。船場吉兆の営業再開のメドは全く立っておらず、従業員の大半が自宅待機を余儀なくされている。このまま船場吉兆が消滅するようなことになれば、それは消費者が拒絶したことよりも、バッシング報道による要素が大きいのではないだろうか。

by deracine69 | 2007-11-24 23:59 | 社会  

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