人気ブログランキング | 話題のタグを見る

<小池百合子さん>自分の人生を自分で切り開くための「術」を学べばよい

2006/12/26 09:00 東洋経済オンライン

 今回は小池百合子さんのお話です。

 内閣総理大臣補佐官を務める小池百合子さん。

 兵庫県芦屋市に生まれ、幼い頃は兄の背中を追いかけ、ドッジボールに鉄棒など校庭を活発に走り回る少女だった。中学受験を体験し、神戸の名門、私立甲南女子中学に進学……。そこで出会った河内弁を喋る米国人教諭のことは、特に印象的だった……と学生時代を振り返ってくれました。

<小池百合子さん>自分の人生を自分で切り開くための「術」を学べばよい_f0013182_14552044.jpg● 河内弁を喋る米国人教師から受けた罰

 たくさんの恩師の中で、ひとりあげるならば、中学2年生の時に英会話の教科担任をしていた、河内弁を喋るアメリカ人のスペンサー先生を思い出します。

 それまでは大阪の河内で先生をしていたそうで、そこから神戸の我が校に転勤してこられたのです。日本語は上手に喋るのですが、河内弁の訛りがあるのです。同じ関西といえども、神戸と河内ではかなり違います。その話し方が楽しくて、みんなで楽しく笑いあったのを覚えています。

 また、その先生の授業というのは、「机の上には、ノートも何も出すな」というやり方。要するに、英会話なのだから、耳でよく聞きなさい、書いたりなんかしなくていいということです。

 それなのに、ある日、たまたま私が隣の人と放課後の打ち合わせのために書いたメモを手渡したのが見つかってしまい、「後で職員室に来なさい」と怒られました。職員室に呼ばれて、「何をしてた?」と聞かれて理由を答えると、「ダメじゃないか。これは罰だ」と、英語で二週間日記を書きなさいと言われました。

 まだ中学二年生で、英語の語彙もとても少なかったため、たいへんな課題でした。

 たいへんながらも、日記を提出し、添削をしていただく中で、スペンサー先生とやりあったこともありました。日本語なら、ヴィヴィッドな表現をするためにわざと、時制を整えずに表現することがあります。そのことを表現したくて、現在進行形を使って日記を書いたら、「これは違う!」と言われてしまいました。私は「そうではない!もっと生き生きとした表現をしたいからだ」って説明をしたのです。それでも、「違う。間違いだ」とおっしゃるので、先生はアメリカ人なのにどうしてそのことがわからないんだろう、わからんちんな人だって(笑)。

 でも、その二週間は、一生懸命英語で日記を書きました。今だに取ってありますよ。かわいい101匹わんちゃんの絵の描いてあるノートでしたね。

 結果的に、この罰を受けたことで、英語が好きになりました。その後、一緒に叱られた友人と一緒にESSに入り、英語弁論大会や英語劇を演じたりしていました。今思えば、添削付きで、英語の特別授業を受けたようで、粋な罰でしたよね。

<小池百合子さん>自分の人生を自分で切り開くための「術」を学べばよい_f0013182_1454298.jpg●「鐘」とともに走る少女

 小学校は、家の近くの公立小学校に通っていました。この頃はいつも始業のベルが鳴り始めると慌てて家を飛び出し、走って出かけていましたね。遅刻すれば怒られますが、ベルとともにダッシュして駆け込み、ギリギリのところでちゃんと門に入って間に合っていたのですね。

 小学校はとても楽しかったです。ドッジボール、鉄棒、キックボールや野球もやりました。兄といっしょに、ちゃんばらごっこをしたり。どちらかというと男の子の遊びでいつもどこかに擦り傷を作っていましたね(笑)。授業が終わってからも校庭で遊び、土日も校庭(=学校)に遊びに行きました。

 最近は、学校に行く機会といえば、文化祭や体育祭という時くらいしかないようで、学校がオープンではなくなっていると聞きます。もし、何かが起きた時の責任の所在がどこかと問題になるとか。あれだけ広いスペースが遊んでいるのはもったいないですね。

 何かあれば、それは自分の責任だと、昔はみな思いましたけどね……。

 学校は、本当に楽しい場所でした。お勉強するときは勉強し、遊ぶときは砂まみれになって遊び、まさに「学び舎」というのがふさわしい……。ここで何を学んだかと聞かれれば、「一生懸命やること」「集中すること」じゃないでしょうか。

 私の子どもの頃と今とを比べて大きな違いは、昔はみんなで遊ぶことが多かったことです。今の子のように、ゲームと一人で向き合って遊ぶのではなく、かくれんぼや、鬼ごっこなど身体を動かし、かつ、複数で、グループで遊ぶことが主流でした。

 いじめも当時からあったと思います。だけど、どこかにやさしさを持っていて、身体の弱い子はみんなで助けてあげました。誰に教わるわけではないけれど、ごくごく当たり前にそういうことをしていましたね。また、昔は先生も近くに住んでいて、先生とも家族ぐるみで親しく、町内会みんな一体となって楽しく過ごしていました。先生との距離も今よりずっと近かったようにも思えます。

● 「Don’t」ではなく、「Do」のしつけ

 しつけというのは、だいたい「~をするな」って言いますよね。つまり「Don’t」です。あの頃はその逆で、「これをして遊びなさい」「あれをして遊びなさい」「勉強もしなさい」という「Do」が多かったと思います。

 うちの母もそうでしたが、失敗することがあっても、転んでけがをしても、それは自分の責任といってそれ以上、親がどうこうすることもなかった。それが当たり前だった時代ではないかと思うのです。

 私も私立中学に進学するため、小学5、6年生くらいから塾に通い始めました。でも、勉強も、遊びもたくさんして、どちらもとても楽しかった。

 最近は、子どもの意志に関わらず、子どもを親の見栄の対象にしている傾向があります。それでは子どもが可哀想です。子どもは親の見栄の対象には決してなりません。

 以前キャスター時代に、経営者のインタビューをしばしば行いました。ある時期、学習塾の上場が相次いだことがありました。これは、学習塾の経営者に聞いた話ですが、「こんな詰め込み教育だけをしていると情操教育によくない」とテーマを与えて作文を書く宿題を出したら、親から「余計なことをさせるな。受験勉強に集中するように」という文句がついたというのです。

 私の時代は、偏差値重視の時代ではなかったのですが、偏差値、数値ではない人間性を伸ばすのが親の役目ではないかと思うのです。

 いい学校に行ったからといっていい会社に就職できるわけでもない。いい会社に就職できたからといって、いい人生が送れるとは限らない。だから、その子の人生はその子が切り開けるようなその「術」さえ持っていればよいと思うのです。 (取材:田畑則子・野坂剛 撮影:戸澤裕司)

小池百合子<こいけ・ゆりこ>
<小池百合子さん>自分の人生を自分で切り開くための「術」を学べばよい_f0013182_14535449.jpg政治家。
1952(昭和27)年、兵庫県芦屋市生まれ。
甲南女子中学・高等学校卒業。関西学院大学社会学部中退。カイロ大学文学部社会学科卒。アラビア語通訳、講師を経て、キャスターとして活躍。テレビ東京「ワールド・ビジネスサテライト」メインキャスターなど。92年参院選初当選。93年の衆議院選で兵庫二区当選。02年環境大臣、沖縄・北方担当相などを経て、現、安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)。

by deracine69 | 2006-12-26 09:00 | 政治  

<< 外国人にじゃなく日本人に…はし... エチオピア軍の戦闘機、ソマリア... >>