人気ブログランキング | 話題のタグを見る

【橋下徹研究】「スネ夫」から「代弁者」へ

7月26日23時57分配信 産経新聞

 「39年の人生の中で一番濃密な時間だった。2月からね…」。大阪府の平成20年度予算案が与党の自民、公明に加え、野党の民主も賛成して可決した23日、知事の橋下徹(39)は満足そうに振り返った。

 2月の就任から間もなく半年。職員の人件費や私学助成の削減、ハコモノ行政の統廃合など、賛否を巻き起こした「橋下改革」は、ようやく実行段階に入る。

 「過去の知事とは全く違った」。橋下と対峙(たいじ)した府庁幹部の共通した意見であり、その手法は大きく3つに分けられる。1つ目は「政治の素人」であること。疑問点に一つずつ立ち止まり、ごまかしがきかない。ある幹部の携帯電話には、深夜でさえ橋下の着信記録がびっしりと並んでいた。

 2つ目は「公開性」。タレント時代に利点と怖さを実感したのだろうか、会議のほぼすべてにテレビカメラを入れるやり方は、視聴者に知事の“抵抗勢力”を印象づけるのに十分だった。

 そして3つ目が、こうした手法を最大限に生かした「交渉術」だ。府幹部の一人は「弁護士らしく、最初にふっかけて交渉で譲歩する。しかしもとはゼロのため、最後は少しでも引き出した側の勝ちとなる。とにかく口達者です」。

 そのルーツを追っていくと、少年期にまで行き当たる。当時、橋下は転校を繰り返していた。

 昭和44年6月、橋下は東京都渋谷区で生まれた。母子家庭で、母親が苦労して家計を支え、小学5年で妹とともに大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。橋下は、当時の生活が「自分の原点」と言う。

 中でも「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。すでに小6で身長170センチ、体重65キロの体格だった橋下はかなり目立つ存在で、その上「東京出身の転校生」は言葉の問題などでもからかわれやすかった。小学校では転校初日からいきなり同級生に殴られたという。

 ここで橋下が選んだ道は、彼らと敵対するのでも、手下につくのでもなく、彼らの交友関係に自ら飛び込むことだった。橋下は青少年向けの著書「どうして君は友だちがいないのか」で、ユーモアを交えながらこう述べている。

 「要するに(ドラえもんの)スネ夫のような生き方といえばいいでしょうか」「ジャイアンのような強い人、強い存在とうまくつきあって生きていくことは、悪いことでもずるいことでもありません。その選択を非難できる大人なんて絶対にいないはずです」

 小中学校時代は、身体の大きさから「おっさん」、高校では、名前の読み方から「ハシゲ」と呼ばれた橋下。中学時代から始めたラグビーも「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」。

 ただ、いつまでも「スネ夫」でいるわけにもいかない。成績も優秀だった中学時代の橋下は、言葉では自分をうまく表現できない「ワル」たちの「代弁者」として次第に存在感を増していった。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。放課後の教室で、車座になって橋下の言葉にうなずく生徒たちの姿は、教師の間で「橋下塾」と呼ばれていたという。

 中3時の担任教諭だった臼井一昭(50)は「席替えや文化祭の出し物などでクラスがもめたとき、互いの主張を取り入れて解決するのも、必ず橋下だった。論理立ててものを述べる交渉術は当時から卓越しており、教師からみても、こちらが見透かされているような怖さがあった」

 では、現在の橋下にとっての“ジャイアン”は誰なのか。立候補の際、地元の自民、公明の支援を取り付けたことについて当時、こう述べていた。

 「実行力のない人とつきあっても政治はできない。僕は(元長野県知事の)田中康夫さんのように孤立したくはないんです」

                   ◇

 世論の圧倒的な支持を背景にかつてない規模の大阪府政改革を進める橋下。そのパーソナリティーは、彼の政策にどのような影響を与えているのだろうか。

by deracine69 | 2008-07-26 23:57 | 行政・公務員  

<< 静岡空港:鈴与航空会社が運航計... 中国ウナギ青息吐息、日本向け輸... >>