人気ブログランキング | 話題のタグを見る

中国・梅里雪山遭難 仲間の遺体捜索10年目 写真家・小林尚礼さん、きょうから

8月26日8時0分配信 産経新聞

 ■最後の1人再会したい

 平成3年に日中合同登山隊17人が消息を絶った中国・雲南省の未踏峰、梅里雪山(メイリーシュエシャン)(標高6740メートル)で、遭難した仲間の遺体を捜し続けている男性がいる。京都大学山岳部OBで写真家の小林尚礼(なおゆき)さん(39)。捜索活動は今年で10年目。これまでに16遺体が見つかったが、遭難現場の氷河が解け出し、遺品が川に流出するなど、捜索は年々難しくなっている。「最後の1人もできることなら見つけ出したい」。小林さんは26日から“節目の捜索”に着手する。(滝口亜希)

 「登山隊との交信が途絶えた」。大学3年生だった小林さんに知らせが届いたのは、正月休みを終えて京都へ戻った直後だった。

 梅里雪山の初登頂を目指した登山隊には、京大OBを中心とした日本人11人と中国人登山家らが参加。2年12月に登山を開始したが、翌年の1月3日夜の交信を最後に音信は途絶えた。後の調査で、標高5100メートル地点にキャンプを張っていた登山隊を大規模な雪崩が襲ったと結論付けられる。

 日中から救援隊が向かったが、悪天候に阻まれ、約3週間後、誰一人戻らないまま捜索は打ち切られた。

 行方不明者の中には、山岳部でともに活動に励んだ同級生、笹倉俊一さん=当時(21)=や、登山の醍醐味(だいごみ)を教えてくれた先輩もいた。捜索打ち切りを告げるため笹倉さんの実家を訪れた小林さんに、両親が明るくふるまいながらも、ぽつりとつぶやいた言葉が忘れられない。

 「21年の短い人生でした」

 ≪「家族の元へ…」≫

 遺体発見の報を受け、小林さんが梅里雪山を訪れたのは、事故から7年後。隊員らをのみ込んだ氷河が長い年月をかけて動き、仲間たちをはき出したのだ。

 横たわる仲間を前に出てきた言葉は「よく帰ってきたな」。悲しみよりも、再会した懐かしさのような不思議な感情がこみ上げた。

 近くの町で行われた葬儀は悲しみに包まれた。遺族の一人が骨壺(こつつぼ)をいとおしそうに抱えながら、小林さんに声をかけた。「遭難から7年たって、やっと本当の区切りがつきました」。遺族にとって、遺体が持つ意味の大きさを知った。

 小林さんは11年から毎年、梅里雪山の麓(ふもと)の明永(ミンヨン)村に数週間から数カ月間滞在し、遺体を捜索する傍ら、写真を撮って過ごしている。「仲間を家族の元へ連れて帰りたい」という思いからだ。

 村での暮らしは、多くのことを教えてくれた。友をのみ込んだ恐ろしい山は、村人が毎朝欠かさず祈りをささげる「聖山」でもあった。「神の存在を信じる人々が、自然の中で生かされている」。「神々しさ」という言葉が適当なのか、いいようのない感動がこみ上げた。

 ≪集めた遺品1トン≫

 小林さんは、パートナーを引き受けてくれた明永村村長のチャシさんとともに捜索を続ける。集めた遺品は1トンを超えた。10年間の捜索が与えた変化は大きい。「聖山を汚した者」として敵視していた村人との交流も芽生えた。チャシさんの長女、ペマツォモさんは今年から日本に留学している。

 一方で、捜索活動の終わりが近いことも感じる。氷河は予想以上のスピードで解け、600メートル近く後退した。遺品が川に流れ込んでいる形跡もある。昨秋には頭蓋骨(ずがいこつ)の一部が見つかり、DNA鑑定中だ。最後の1人と判明するのか、それとも…。

 「大きな節目は確実に来る。でも、区切りとは言いたくない」

 小林さんはこれからも聖なる山を撮り続け、御霊(みたま)と触れ合っていきたいと考えている。

                   ◇

【用語解説】梅里雪山遭難事故

 平成3年1月3日、梅里雪山(中国・雲南省、標高6740メートル)への初登頂を目指した日中合同学術登山隊が標高5100メートル地点で消息を絶つ。捜索活動が行われたが、日本人メンバー11人、中国人登山家4人、地元協力員2人はいずれも見つからず、日本の海外登山史上最悪の事故となった。これまでに医師、清水久信さん=当時(36)=を除く16遺体を確認。梅里雪山は今も未踏峰のまま。明永村を含む一帯は15年、世界自然遺産に登録された。

by deracine69 | 2008-08-26 08:00 | アジア・大洋州  

<< パキスタン連立政権崩壊 巨人・渡辺球団会長が星野代表監... >>