日教組批判は「確信犯」=辞任会見で自画自賛-中山氏

2008/09/28-12:59 時事通信

 「失言とは思っていない」「宮崎での発言は確信犯」-。中山成彬国土交通相は辞表提出後の午前10時半から、国土交通省で記者会見。日教組批判については最後まで撤回しなかった。

 冒頭、中山氏は「(発言後)たくさんの方から『よく言ってくれた』といった山のようなメール、電話が深夜まで鳴り続けていた」と、自身の発言を自画自賛。その上で、「(臨時国会の)審議にいささかの支障があるとすれば私の本意とすることではない」と、辞任の理由を説明した。

 「日教組はがん」などとした発言について、「失言と思っていないのか」との質問には「はい」ときっぱり。いったん落ち着いた問題を地元の宮崎で蒸し返したことについては「確信的に申し上げた」と語った。 

 「総選挙に向けて国民の関心を引きたかったのか」との問いには「それもありますね」。麻生政権に対する悪影響を問われると、「そういうことがあれば万死に値する」と述べた。「大臣という職は受けるべきではなかったのでは」とする質問に対しては、しばらく沈黙した後、「やっぱり受けるべきだったと思う」とつぶやくように答えた。

 大臣として地元の期待を無にしたことなどを指摘されると、時折目を潤ませたような表情を見せ、1時間にわたった会見を「短い間でしたが、ご迷惑をお掛けしました」と締めくくった。


中山国交相辞任 職を賭した「確信的」な日教組批判で引責
9月29日8時3分配信 スポーツ報知

 「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊す」など一連の問題発言の責任を取り、中山成彬国土交通相(65)が28日、引責辞任した。麻生太郎首相(68)に辞表を提出、受理された後、国交省で会見した中山氏は、日教組批判を繰り返したことについて「確信的にあえて申し上げた」と辞任覚悟の発言だったことを明言。地元宮崎で行われた会見でも「政治家は職を賭してでも主張するときがある」と語った。後任には金子一義元行革担当相(65)が就任する。

 国交相ポストをわずか5日で投げ出した中山氏は、辞任会見でも持論をぶち続けた。

 まずは「(一連の発言について)『よく言ってくれた』『辞めるな』という山のようなメールをいただき、電話が深夜まで鳴り続けた」と自身の発言の意義を強調。辞任の理由について「臨時国会の審議にいささかの支障があるとすれば私の本意とすることではない」と説明した。

 中山氏は25日、報道各社のインタビューで大分県の教員汚職事件に関連し「日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になれる」などと発言。その後、いったんは発言を撤回したが、27日に宮崎市で開かれた会合などで「日本の教育の『がん』である日教組をぶっ壊す」などと再び日教組批判を繰り返していた。

 宮崎での発言について「辞任する覚悟で、確信的にあえて申し上げた。国民の関心を引きたかった」とぶっちゃけた中山氏は、続けて滑らかな口調で「(日教組の)ごく一部の過激な分子が政治的に子どもたちを駄目にして、日本を駄目にしようという闘争方針で活動している」と持論を展開。発言を撤回する考えはないとした。

 「なぜ閣僚ポストを投げ出してまで発言したのか」と問われ「子どもたちのことを考えた」と強い信念を強調したが、麻生政権や衆院選への影響については「そのことが一番心配。もしそういうことがあれば、万死に値する」と一転して神妙な面持ちに。「大臣を受けるべきではなかったのでは」という質問には、15秒ほど考え込み「やっぱり受けるべきだった。こうなったのは残念だが」と答えた。

 その後、地元の宮崎市に戻った中山氏は地元の団体にあいさつ回りをした上で再び会見。「政治家は職を賭してでも主張する時がある」とたんかを切った。さらに次期衆院選への出馬に意欲を示し「ピンチをチャンスに変える」と意気込み、報道陣から「議員として資質が問われている」との厳しい質問が飛ぶと「これからの私の生きざまを見ていただきたい」とはね返した。

 辞任にあたり、妻の中山恭子首相補佐官からは「仕方ないわね」と声を掛けられたという。


中山国交相辞任 日教組批判は「確信犯」
9月29日8時2分配信 産経新聞

 「日教組発言は撤回しない」。28日、国土交通相の辞表を提出後、中山成彬氏は東京・霞が関の国交省で行われた辞任会見でこう力を込めた。繰り返された日教組批判は問題が大きくなることを認識した上での「確信犯」だったことを明らかにし、辞任後も日教組の批判を展開した。内閣発足からわずか5日、所管外の発言で騒動だけを残して去った大臣。国交省職員からは「何をしに来たのか」と怒りの声も上がった。

 100人を超える報道陣が集まった会見場。グレーのスーツ、黄色のネクタイ姿で現れた中山氏は、カメラのフラッシュを浴び、ほおを紅潮させ、落ち着かない様子だった。辞任の心境を問われ、声の震えを抑えるように「本当に悩んだ。胸の張り裂けるような思いだった」と語った。

 日教組発言に質問が移ると、「たくさんの方から、よく言ってくれた、頑張れと山のようなメールをもらった」などと口調は強気に。25日の最初の発言が問題化した後も行った日教組批判は「確信的に申し上げた」と胸を張り、辞任覚悟だったことを打ち明けた。その上で「日教組発言は政治家として撤回する意思はない」「何が今の日本をだめにしているかを伝えることが政治家としての務め」と、時折目を潤ませて訴えた。

 約1時間に及んだ会見は国交相の辞任会見ながら、ほとんどは教育問題に費やされた。

 職員からは「いったい何をしに来たのかわからない」「大臣のために仕事をするわけではないが、こんな大臣の下では働きたくない。辞めてもらってよかった」との声も上がった。

 その後、地元の宮崎市に戻った中山氏は、地元の団体にあいさつ回りをした上で再び会見。「政治家は職を賭してでも主張するときがある」とたんかを切り、日教組批判の発言を「どうしても撤回するわけにはいかない」と強調した。
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by deracine69 | 2008-09-28 12:59 | 政治  

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