【三浦元社長自殺】「誰かに甘えて生きてきた」 20年前の担当刑事語る

10月12日1時56分配信 産経新聞

 「甘やかされて育った気が小さいおぼっちゃまだった、ということだろう」

 元警視庁捜査1課理事官の大峯泰広さん(60)は20年の時を埋めるかのように、三浦和義元社長の心を読み解いた。

 大峯さんは昭和63年10月に、一美さん銃撃事件で捜査1課が殺人容疑で三浦元社長を逮捕した際に取り調べを担当。取調室で完全黙秘を貫く三浦元社長と20日間対峙(たいじ)した。雑談では冗舌に語ったが質問を浴びせると一転。「取調室にある電話をジッと見つめて、目を合わせようとしなかった」

 週刊文春で「疑惑の銃弾」と報じられたのが59年1月。殺人容疑での逮捕には5年近くかかった。「取り調べでは『しゃべらなければ絶対に大丈夫』と完全に余裕を持っていた。だが、最初の報道のときには相当慌てていたとの近親者の証言があり、事件についておびえていたのは間違いない。それは今も変わらなかったのだろう」と、刑事訴追への恐怖心は常に付きまとっていたと分析する。

 ロスへの移送直後に自殺したのはなぜか。

 「日本では一美さん殴打事件で実刑が確定している。アメリカで共謀罪に問われるならば、日本での裁判記録や、捜査関係者の証言から『共謀』があったことは裏付けが容易にとれる。共謀罪は終身刑もあり得るため『逃げられない』と観念し、死を選んだのではないか」

 日本で無罪が確定すると、人権擁護の言論を強めていた三浦元社長。支援者は「死をもっての抗議」とみる。だが、大峯さんには「虚勢を張っているだけ」と映った。

 大峯さんと三浦元社長は団塊の世代に分類される同学年。取り調べでは、有名人の甥として生きてきたとされる三浦元社長に、「自分とは違う生き方をしてきた」と、同学年ながら違和感を覚えたという。

 「(三浦元社長は)つねに誰かに甘えて生きてきた人生だった。本当は弱い性格だったのでは」

 心の弱さが自殺という形に結びついたとみている。
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by deracine69 | 2008-10-12 01:56 | 社会  

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