「地震でも安全」過信は危険 東京「山の手」の地盤

2008年10月16日 読売新聞 論点

 地震の際、東京の下町と山の手とでは、被害が大きく異なると、1923年(大正12年)の関東大地震以来、一般に思われてきた。縄文時代には下町は海であり、軟弱で低湿な粘土層が改訂に30~60㍍も堆積し、ここに河川の氾濫で土砂が数㍍も積もって陸になった。それは弥生時代以降のきわめて新しい時代であり、このため、揺れに弱い。これに対して、山の手は比較的建物が倒壊しにくいと考えられてきた。

 確かに、関東大震災の時は、そうであった。ただ、当時、山の手は、まだ宅地化が進んでおらず、武蔵野の雑木林や畑が広がり、人口密度が著しく低かったことを忘れてはいけない。石神井川、神田川、目黒川などに沿う谷には、ほとんど宅地はなかったのだ。

 これらの河川の谷には、腐った植物が10㍍ほどの厚さで堆積しており、下町同様に軟弱な地盤を形成していた。しかも、今は建物や舗装に覆われてわからないが、山の手には、富士山、箱根山、榛名山や浅間山などが噴火した時の火山灰が3~8㍍も積もっている。いわゆる関東ローム層である。

 山の手と、そこに刻まれた谷との間には、ラフカディオ・ハーンの会談で有名な紀ノ国坂、道玄坂など多くの急な坂があるが、かつて坂にはこの赤土が露出していた。関東ローム層も、下町の下に埋もれている地層と同様の軟弱地盤なのである。

 山の手は、比較的平らな段丘面と、急な段丘崖から形成される。多摩川、荒川、隅田川や、江戸時代初期に人工的に流路を変えられた古利根川などの浸食で山の手が削られたところも急な坂である。これらの段丘崖には現在、ビルや住宅がへばりつくように並ぶ。

 がけ崩れや土石流の被害が顕著であった岩手・宮城内陸地震の被災地には、現在でも活動している栗駒山の火山灰が厚く積もっていた。約6500万年前以降の火山堆積物が、がけ崩れや土石流の被害を拡大させたのである。山の手は、関東ローム層をなす地層まで、栗駒山に比べ、はるかに新しい時代にできた軟弱な地層で形成されている。

 もし、山の手が地震に襲われようものなら、関東大震災時には発生しなかった被害が懸念される。大規模ながけ崩れで建物は崩れ落ちて、段丘崖の下の建物も押しつぶされるであろう。また、道路や鉄道は段丘崖で寸断し通行不能になると考えられる。

 山の手には、もうひとつ問題がある。迷路のような道路網である。阪神・淡路大震災では、木造建物の倒壊で狭い道路が通行できなくなった。東京をはじめ名古屋、大阪などの大都市では、都心の周辺を古い市街地がドーナッツ状に取り巻いている。しかも、道路幅が極めて狭く行き止まりも多くて、家屋倒壊が重なると、救急車も消防車も通れない。公的救助から孤立した地域となるのである。

 東京の山の手が地震時には安全だというのは神話に過ぎず、下町とは異なったタイプの震災に見舞われるであろう。大地震では、段丘崖の下に避難するのは最悪の選択で、なるべく離れた段丘の上に逃げるのがよい選択である。

 山の手の危険性はまだ十分に知られていない。このため、関係自治体の地域防災計画などでも考慮されてはいない。現在を正しく認識し、対策を考える必要がある。

高橋 学 立命館大学(自然災害科学・環境考古学)。著書に「平野の環境考古学」など。54歳。
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by deracine69 | 2008-10-16 06:00 | 社会  

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