逆切れする政治

2008年10月27日 朝日新聞 ニュースDrag 高成田享

最近の日本の権力者は、批判の矛先が自分に向かうと、逆に相手を攻撃することで、自分を正当化する傾向が強いようですね。

橋下大阪府知事が朝日新聞の社説を批判した一件も、私には権力者の「逆切れ」としか見えません。橋下氏は「人の悪口ばかり言っているような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と公的な席で発言したあと、報道陣の取材にこう答えたそうです。

「僕は権力者だから批判してもらっても構わない。しかし、一線を越えた批判や、からかい半分の批判には徹底して対抗しないといけない。僕にも家族はあるし事務職員を抱えている。弁護士資格を返上したら従業員はどうなるのか」(朝日新聞10月20日)

「弁護団を許せないと思うんだったら懲戒請求をかけてもらいたい」とテレビ番組で視聴者に呼びかけたのは、「被告人の最善の弁護活動をするのが使命」という弁護士の基本原則を逸脱した言動だと裁判所が判断したので、橋下氏は敗訴したのでしょう。「弁護士資格を返上しては」という批判が「一線を越えた批判」とは思えません。家庭の事情を言うのなら、懲戒請求を呼びかけたとき、橋下氏は相手弁護士の家族や従業員について、何も考えなかったのでしょうか。

批判が一線を越えているかどうか、からかい半分かどうかは、だれが判断するのでしょうか。批判された権力者自身が判断するのであれば、すべての批判は一線を越え、からかい半分になってもおかしくありません。政治漫画の多くは「からかい半分」になるでしょうから、政治漫画がそもそも成り立ちません。大統領の人格も知性も政策も徹底的に笑いの対象にする米国の夜のテレビ番組なんて、「からかい全部」の批判でしょう。

東国原宮崎県知事が、次の衆院選への出馬をめぐっての言動について朝日新聞に批判されたことに対して、自分のブログで「ああいう人間が社会にいることが残念で、その中で仕事をしなければならない自分の境遇を憂い、寂しく思う」と書き、記者個人への批判を展開しています。これも「逆切れ」だと私は思います。記事のなかにある「オオカミ少年状態」(県議の言葉の引用)、「政治家の言葉の軽さ」(中山前国交相を含めた政治家)という記述は、知事には厳しい言葉かもしれませんが、記者の社会的な存在を抹殺するようなものに当たるのでしょうか。この程度の批判で、自分の境遇を憂うようなら、民主主義と名の付く世界のどの国でも、政治家なんてやっていられないでしょう。

麻生首相がホテル通いを首相番の女性記者に質問されて、「(ホテル以外の)店の妨害をして平気ですか」と逆質問、「お前、聞いているんだよ」とすごんだそうです。これは「逆切れ」か「逆上」かわかりませんが、河村官房長官が「みなさん(記者団)の後ろに国民がいるのだという視線だけは絶えず持っていただきたい」と、首相に自制を求めたというのも当然でしょう。

権力者を批判できる社会を民主主義と言います。米国の特派員だったころ、地方取材に行くと、よく、こんな会話になりました。

「日本の何という新聞か?」
「アサヒです」
「君の新聞は政府からのお金をもらっているか?」
「いません」
「それじゃ、政府を批判できるか?」
「いつも批判的だと言われています」
「OKわかった。ところで、何を聞きたいの?」

こうした会話を続けながら、初めは朝日新聞がどういう新聞かを尋ねているのかと思いましたが、途中で気づきました。新聞のありかたを聞いて、日本という国が民主主義の国なのかどうか確かめているのだと。

権力者が向けられた批判に反論するのは当然でしょう。しかし、「朝日みたいな新聞社は、なくなった方が世の中のためになるんじゃないか」(橋下知事)とか「ああいう人間が社会にいることが残念」(東国原知事)といった発言は、民主主義国における政治家の批判としては、それこそ一線を越えているように私には思えます。国民の多くが聞きたいことを質した記者を恫喝する首相も同じです。

批判した相手の存在そのものを否定するような批判は、民主主義の原理に反するからです。「朝日新聞」や「朝日記者」を批判する権力者は、ほかの新聞だって批判されれば、攻撃するでしょうし、新聞だけでなく、自分とは考えの違う政党には「なくなった方が世の中のためだ」と口にするようになるでしょう。

歴史を振り返ると、個人の人気に頼る政治は、人気者の政治家を「批判を許さない独裁者」に変えていくように思います。日本の昨今の政治状況も、そんな傾向があるのではないでしょうか。選ばれた人の問題というよりも、選んでしまう政治状況が問題だと思います。

もっとも、本当の権力者は、少々の批判には鷹揚に構えるはずで、自分が握っている権力に不安があるから、すぐに「逆切れ」や「逆上」を起こすという解釈も成り立つかもしれません。たしかにこのごろの政治家は、昔に比べればずいぶんと「軽い存在」(一線を越えた批判かな)になったように見えます。そうであれば、「逆切れ」もファッショな時代の現象ではなく、権力不在のアナーキーな時代の象徴ということになります。

ところで、地上の憂さを忘れるような不思議な写真をお届けします。先週、サンマ船に乗ったのですが、そのときサンマの群れが見せた神秘的な光景です。群れが濃いときに、見られる「サンマの花が咲く」という状態だそうで、サンマの群れが噴水のように一斉に跳ね上がるのです。同乗ルポは27日の朝刊に掲載されています。

f0013182_5414867.jpg

[PR]

by deracine69 | 2008-10-27 23:59 | 政治  

<< 土佐犬に襲われ小3男児重傷、飼... 安心して産める社会に=「誰も責... >>