田母神論文: 陰謀論にはまる危うさ

2008年11月13日 朝日新聞
唐沢俊一 評論家、「と学会」会員

 世の中には荒唐無稽な主張を展開する「トンデモ本」があふれている。私は、トンデモ本を研究する「と学会」会員として、数多くのトンデモ本を読んできたが、田母神論文にはトンデモ陰謀論の典型的なパターンが表れているように感じる。

 「日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した」「張作霖列車爆破事件はコミンテルンの仕業」「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党」といった、都合のいい俗説を検証もせずに取り出し、整合性も考えずにつぎはぎにしている。自説の正当性を証明するプロセスをすっ飛ばす。一次史料を参照せず、「誰々の本に書いてある」という二次史料引用しかない。空幕長であれば、一次情報にアクセスすることもできたはずだが、そうした形跡がまったくない。これはすべてトンデモ陰謀論の特徴だ。

 読み物作家などと違い、政治や歴史を研究する人間は、すっきりした解答という誘惑を退けなければならない。複雑な状況を、単純化せず、根気よく分析していくには、非常な労力と時間が必要だが、田母神氏にはそれが我慢できず、手あかのついた陰謀論に走ったのだろう。

 論文から唯一読み取れるのは、いま日本や自衛隊が置かれている状況について、田母神氏が憤りを感じていることだ。給油問題や米国との関係の変化などで、自衛隊をめぐる状況は不安定で先が見えない。その状態への不安とフラストレーションがあるのではないか。満たされないものを抱いている人間は、安易な解決に飛びつきがちだ。氏は、物事の処理や判断が速い、有能な人物だといわれている。実は、そういう即断即決型の人ほど、トンデモ陰謀論にはまりやすい。「誰々が悪い」という、理解しやすい解答に行ってしまいがちだからだ。

 田母神氏の論文からは、世の中を変えようとする意志が感じ取れない。本気で変えたいのなら、懸賞などに応募するのではなく、地道に勉強会などで自衛隊の中に自分の思想を浸透させていき、やがて政治や社会に影響を及ぼそうと考えるはずだ。「言いたいことを言った」といだけで、自分は大きなことをしたという自己満足に浸っているのではないか。こうした「言いっ放し」も陰謀論によく見られるものだ。

 ただ無視できないのは、ブログなどで、この論文について「どこが悪いんだ」という声が多いことだ。ネットの世界には、黒か白か、右か左かをはっきりさせたがる人が多い。そうした単純化は陰謀論と親和性が高い。複雑な政治的問題を、一つの「悪」を設定するだけで、すべて片付けようとする。嫌中、嫌韓という風潮も、悪役を手っ取り早く見つけたいという欲求の表れだろう。そうした白か黒かの二元論が社会で急激に広まり、考え方の豊かさや多様性が失われている。

 いま日本でも、「9・11米国自作自演説」などがもてはやされるようになっている。それは、国民の間に、社会状況や経済状況、生活についての不安やフラストレーションが高まり、余裕がなくなってきていることの表れではないか。グローバル化で複雑になりすぎた社会に人間がついていけなくなり、陰謀論という悲鳴を上げている。

 田母神論文を、陳腐で幼稚だと笑い飛ばすのは簡単だが、こうした陰謀論に空幕長という要職にある人間がはまってしまうという現状の危うさにこそ、気づかなければならない。

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by deracine69 | 2008-11-13 06:00 | 社会  

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