厚労省よ、閉じこもるな

2008年11月20日 朝日新聞
木島等 元長崎市長

 今回の殺傷事件の動機や背景はまだ不明だが、このところ日本で起きたテロとは少し形態が違うように思える。

 長崎市長だった1990年に「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と発言した私が右翼団体の男に撃たれた事件や、小泉元首相の靖国神社参拝を批判した自民党の加藤紘一・元幹事長の実家が放火された事件をはじめ、これまでのテロは個人を狙う動機がだれの目にも割とわかりやすいことが多く、それは「言論の封殺」と位置づけることができた。

国民生活担う官庁

 それに比べて今回の事件は、厚生行政のトップにかつて上りつめた人の自宅が連続して狙われて、「なぜこの人が」という目的がはっきりと見えにくい。怨恨とは考えにくく、中央省庁という権力に何らかの不満を持つ者が、そのはけ口として組織の元幹部と家族を狙ったものであれば、ものすごく残忍なやり方だ。新しい形のテロというものが起きてしまった可能性があり、強い衝撃を受けている。

 テロの形態がどうであれ、最近、このような事件がたびたび起きるのは、01年いアメリカで起きた同時多発テロと無縁ではないと思う。テロには武力で対抗するという政策をアメリカが選択し、日本政府はそれに無批判で同調してしまった。こうした政治の動きが、対話よりも暴力、暴力ではないしても何らかの圧力でもって相手を黙らせようとする人を少しずつ増しているようなきがする。

 テロに対する世論の反応が小さくなっている感じもする。たびたび起きているので、国民も強く意識しなくなってしまったのだろうか。日本全体が暴力に対して鈍感になってきているのだとしたら、これほど怖い風潮はない。

 今回の事件は。年金などの厚生行政が標的になったとの見方が出ている。厚生行政は、年金をはじめ病気や食べ物など、国民の生活に直接かかわる仕事をたくさん抱えている。まさに国民の生命と財産を担っている官庁である。

 しかし、その政策や対応のまずさが原因で困っている人たちがあちこちにいるのが現状である。だから、厚生行政の使命を果たしていないとして、厚労省やその幹部たちに強い憤りを覚えている人がいても、それ自体は何らおかしいことではなく、むしろ、たくさんいて当然だと言ってもいいだろう。

 長崎は被爆地であり、被爆者の救済は厚労省の大事な仕事の一つである。厳しすぎる原爆症の認定基準や、外国で暮らす被爆者が援護策を受けられない問題などをめぐって、被爆者は長年にわたって厚労省と交渉を続け、司法の場にも打開の道を求めてきた。

 お粗末な被爆者行政を前進させてきたのは、こうした民主主義の手続きにのっとった粘り強い行動があったからである。厚生行政に不満があっても、それを暴力で打開しようとするのはもってのほかであり、そうした行動から、生産的なものは何も生まれない。

 テロで生まれるものがあるとすれば、社会全体の萎縮かもしれない。だが、テロによって本当に社会が萎縮してしまうかどうかは、私たち次第である。

 私が銃撃されて重傷を負った翌朝、長崎市役所の労働組合の人たちは「こんなことがあってはならない」といった趣旨のビラを職員や市民に配った。私も「市民の話を聞くのが最大の仕事」というそれまでのスタイルを変えず、市民と接触する機会を減らすようなことはしなかった。職員も公務員としてのプライド意識を持って職務に専念してくれた。

 テロによって社会が萎縮するようなことはあってはならず、そうならないために関係者が心を一致させることが大切なのである。

頼られる存在に

 今回の事件を受けて、厚労省では警備が強化され、見えない動機に庁内は緊張に包まれている、と報道されている。今後、厚生行政にどのような影響が出てくるのかわからないが、萎縮して国民との距離が開くようなことがあってはならない。

 私たちの生活は、厚生行政がどれだけ充実するかによって大きく左右される。なんだかんだと言っても、国民にとって、厚労省は頼りにすべき存在なのである。警備の都合などを理由にして、困っている人たちとの交渉や対話をする機会を減らしたり、庁内に閉じこもって国民の声を外に聞きに行くことに消極的になったりするようなことがあってはならない。むしろ、年金問題の反省を生かして、国民の意見を吸い上げるような窓口を作るなど、開かれた対応こそが求められている。

 国民の側も、今回の事件を受けて厚労省に遠慮するのではなく、むしろ言うべきことをきちんと言い、これまで以上に話し合いを重ねることによって、理想的な政策が実現できるよう働きかけるべきである。

 「閉じる」のではなく「開く」。そうした営みを続けていくことが、テロを未然に防ぐことにもつながるのではないだろうか。今回の事件は、行政と国民に対して大きな教訓を突きつけているのだと思う。


 22年生まれ。自民党長崎県議を経て、79年から95年まで長崎市長を4期務めた。
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by deracine69 | 2008-11-20 06:00 | 社会  

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