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星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」という脅威

メディアから視聴者、選手団まで「日の丸」に支配された北京五輪
2008年08月11日 ダイヤモンドオンライン 谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)

 63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか。

 JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長で選手団長を務める福田富昭氏は、現地での記者会見で相変わらずメダル勘定しか発言しなかった。「金メダル2けた以上、総メダル数30個以上でアテネ(37個)を超える」と。選手団のトップがメダルしか頭になく、それ以外のことには思考停止の有様で、過去の歴史認識などまったくない。おそらく、選手団全体も同様ではなかろうか。

ナショナリズムの象徴 星野仙一という存在

 現地入りする前にメディアから北京オリンピックについての抱負を聞かれた選手たちの多くが、「日の丸のためにメダルを目指して頑張る」と応えたのは印象的だった。とりわけ、テレビに出演する度に日の丸を徹底して強調した野球代表監督・星野仙一氏の存在が目立った。

星野氏は、プロ野球・中日ドラゴンズ監督時代、理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官として知られた。また、日の丸の強調が象徴するように星野氏は、ナショナリズムに凝り固まった人物でもある。

 しかし、メディアは、そうした星野氏の本質的な資質を見ようとせず、「闘将」「熱血漢」などと偽称して持ち上げ、頼りがいのある指導者のイメージを作り上げてきた。そして、星野氏の理屈抜きで感情的に思いついたことをずばずばという語り口が、メディアによって思考力を奪われた視聴者に受けたといえよう。

 選手団のなかで存在感の大きい星野氏だけに、その偏狭なナショナリズムが野球ばかりでなく他の競技の選手にも影響を与えることを危惧せざるを得ない。

1つの詩が教えてくれる 「日の丸」に隠された真実

「原爆詩人」として知られる栗原貞子さんの「旗」という作品の一部を紹介する。

 日の丸の赤は じんみんの血
 白地の白は じんみんの骨
 いくさのたびに
 骨と血の旗を押し立てて
 他国の女やこどもまで
 血を流させ 骨にした

 いくさが終わると
 平和の旗になり
 オリンピックにも
 アジア大会にも
 高く掲げられ
 競技に優勝するたびに
 君が代が吹奏される
 千万の血を吸い
 千万の骨をさらした
 犯罪の旗が
 おくめんもなくひるがえっている
「君が代は千代に八千代に
 苔のむすまで」と
 そのために人民は血を流し
 骨をさらさねばならなかった
 今もまだ還って来ない骨たちが
 アジアの野や山にさらされている
   略
 日の丸の赤はじんみんの血
 白地はじんみんの骨
 日本人は忘れても
 アジアの人々は忘れはしない

 栗原さんは、この詩で「日の丸」を象徴とした侵略戦争によって2000万人ともいわれるアジアでの犠牲者をだしたこと、そればかりか戦後もそのことに対して謝罪も補償もしない、そうした日本のあり方を厳しく批判しているのだ。

 日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれる。

国威発揚の手段にされる「メダル競争」 ナショナリズムを克服するには

 北京オリンピックには、205の国と地域から1万人以上の選手が参加する。そのなかには戦争や貧困、飢餓、それに宗教、人種差別などによってスポーツ活動もままならない国や地域の選手たちもいる。そうした選手たちは、メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。

 しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか。

 ドイツで戦争と革命の世紀を生きた女性画家のケーテ・コルヴィッツは、第一次大戦が始まったとき、息子への手紙にこう書いている。

<私たちは言いました。『国際主義の理念はしばらく後退せざるをえないだろう。しかし、あらゆるナショナルなものの背後に、インターナショナルなものが厳存する』と。ナショナルな発展の現状は、袋小路に行き着きます。民族的な生活を保持しながら、ナショナルなものどうしの衝突を不可能にするような立場を、見いださねばなりません>【「ケーテ・コルヴィッツの肖像」(績文堂出版)】

 ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸やメダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。
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by deracine69 | 2008-08-11 12:00 | スポーツ  

国歌を唄えて国旗を掲げる権利と、喜び

2008年5月22日 日刊スポーツ 西村幸祐コラム

 昨今はさすがに少なくなったが、以前は五輪が近づくと必ずと言っていいほど、こんな記事が新聞紙上に載ったものだ。

 「五輪期間中は“にわか愛国者”が増える。普段は国旗に見向きもしない人たちが、日の丸はいくつ上がったか、君が代は何度歌われたかに夢中になる」。

 まるで日の丸や君が代に夢中になるのが滑稽なことでもあるかのような、シニカルな文章を目にしたことがある人は少なくないだろう。「日の丸や君が代に対して、あくまでも批判的なのが進歩的文化人というもの」あるいは「普段は日の丸や君が代に批判的な進歩的文化人も、五輪の時は童心に返ってしまうもの」といった読者に対する優越感に満ちたニュアンスを感じるのは私だけではないだろう。仮にそれが私の思い過ごしだとしても、一部メディアで使用される「愛国者」という単語には、通常は尊敬の対象であるべきカテゴリーの人々に対して、それとは正反対の侮蔑と、ある種の危険人物であるかのような意味が含まれているように思えてならない。

 五輪は、国家を強烈に意識させるイベントでもある。そして、わが国は最も国歌や国旗に敬意を払わない人が多い国の1つであったのは間違いないだろう。それは60年代から70年代にかけて、新左翼運動が全盛であったことと無縁ではない。だが、80年代から90年代にかけて、そういったイメージは急激に変わってきた。北京五輪を目前を控え、日刊スポーツに掲載された記事を見ても、選手の意識が変わりつつあるのは感じられる。例えば以下のような記事だ(いずれも抜粋)。

競泳・中西悠子・・・母校(近大)に贈った色紙に「メーンポールに日の丸を」と書き込んだ。

競泳・北島康介・・・「センターポールに日の丸を揚げます」。

競泳・末永雄太・・・「自分はセンターポールの隣に日の丸を揚げます」。

野球・片岡易之・・・「日の丸を背負ったことがないので、そういうチャンスがあるなら国の代表として頑張りたい」。

野球・サブロー・・・「予選では日の丸を背負うプレッシャーと感動がいかにすごいものかを知ることが出来ました。もう1度、あの興奮を味わいたいので、シーズンでしっかりとアピールしていきます」。

 若い世代が何の屈託もなく、自らの目標達成の象徴として「日の丸」に言及しているのは興味深い。

 恐らくこういった姿が自然な姿なのだろう。自らの国の旗や歌に敬意を払うことは当然であり、国歌を歌わないことに自己のアイデンティティーを求めるのは、例えば中国に国を奪われたチベットの人々のように極めて限られた層である。

 忘れられない事件がある。

 1993年、5月1日、世界2輪選手権スペインGPの予選で痛ましい事故が起きた。250CCクラスに参戦したばかりの若井伸之選手(25歳)が、タイムアタックをかけようとピットロードで加速したとき、イタリア人選手の招待客がオフィシャルの制止を振りほどき急に若井の前に飛び出したのだ。無謀なその酔客を回避できなかった若井は、それでも衝突を回避しようとぎりぎりまでマシンをコントロールし、相手の頭を手でかばいながらコンクリートウオールに激突した。相手は重傷で済んだが、若井は医療団の懸命の治療も空しくわずか25年の生涯を終えた。

 輝かしい未来が嘱望されていた若井を襲った、予選中のあまりにも悲しい不幸な事故だった。同じレースに出ていた原田哲也は棄権を決意する。面倒見のいい若井に誘われて世界GPに参戦したのは原田哲也だけではない。125CCクラスに参戦した坂田和人も同じだった。坂田もレースを棄権しようと思った。欧州で人気急上昇中の上田昇もそうだった。しかし、GP関係者の懸命な説得で、日本人選手はそれぞれのスターティンググリッドに立った。

 250CCで原田は独走で優勝した。彼が最強の世界チャンピオンとして世界中の賞賛を浴び、イチローや中田英寿を尻目に欧州で最も有名な日本人になる、サクセスストーリーの最初の一歩となった勝利だった。

 表彰台にも上らずインタビューまでキャンセルした原田はコメントを発表した。
 「きょうの僕は最愛の友、若井伸之選手のために走り、このレースを勝った。このスペインGPの勝利を心から彼に捧げる」

 この日の優勝カップは若井選手の実家に飾られている。

 後の世界チャンピオン坂田も125CCでGP初優勝を果たした。坂田も原田とともに欧州で最も有名な日本人になったのだが、2人とも鬼気迫る走りで若井の不幸な死を悼むレースファンに深い感動を与えた。

 坂田は「今日は親友のために走った」という一言を残し、表彰台で泣き続けた。スペインのヘレスサーキットで2日連続君が代が流れ、日章旗がメーンポールに翻ったのだ。

 海外で暮らす日本人は、それまで考えもしなかった日の丸と君が代の美しさに気づいて、驚くことが多いという。F1に日本人が参戦を始めた80年代末から、バックパッカーたちが日の丸の手に世界各地のサーキットを訪れることが多くなった。世界で勝てる日本人のグランプリライダーたちの活躍も、多くの海外在住日本人に夢と希望を与えてくれた。

 そして、93年5月1日に表彰台に上がらなかった原田哲也に捧げられた、君が代の演奏と日の丸の掲揚は、ヘレスサーキットを訪れていた日本人だけでなく、地元スペイン人をはじめとする世界中の観客に大きなインパクトを与えてくれた。

 日本サッカーがメキシコ大会以来、28年ぶりに五輪出場を果たしたアトランタ五輪。1996年7月22日にマイアミのオレンジボウルで日本五輪代表対ブラジル五輪代表の一戦が行われた。日本はGK川口の神がかりのスーパーセーブの連発でブラジルを1-0で振り切り、貴重な緒戦勝利を飾った。

 当時、米国に留学していた2人の学生と私は行動を共にしていたのだが、彼らは車で移動中、日の丸を窓から振りかざし、フロリダの風に翻らせた。美しい光景だった。追い抜いた観戦ツアーのバスから、そして対向車からも祝福の手がかざされ、歓声が上がった。

 米国でスポーツマーケティングを学んでいた彼らは、帰国後それぞれの人生を歩んでいる。A君はサッカーの川崎Fのフロントで、S君はチリのプロサッカーチームと名古屋のトレーナーを経て、スポーツジムの運営に携わっている。

 2輪やF1のサーキットで、あるいはサッカースタジアムで、海外で暮らしていると国歌、国旗に対して自然と振舞えるようになるということは、日本の事情が特殊で異常であることの証左に思えてならない。彼らは外国であれば当たり前のことをしているに過ぎないし、そのことが日本のそれまでの異常さを認識させる1つのきっかけになった。

 98年、日本がW杯初出場を果たしたフランス大会緒戦の対アルゼンチン戦では、世界のサッカー大国に負けない声量で日本のサポーターは堂々と君が代を歌い上げた。私はその時、戦後長く日本を覆った新左翼運動の呪い、あるいは進歩的文化人を自認する人々の呪縛が音を立てて崩れていくのを感じた。

 君が代と日の丸に反対する一部の人は「戦前の日本を表しているから反対だ」とよく言う。「侵略戦争に加担していたシンボルだ」という意見もある。しかし、仮に日本の戦争が悪かったとしても、あるいは<侵略> だったとしても、日の丸や君が代は当時も今も国家のシンボルであり、ナチスの鉤十字を国旗としたドイツ第三帝国とは事情が違う。ドイツが今でもナチスの鉤十字を国旗としていれば「国旗を掲げたくない」という主張も納得できるが、君が代、日の丸に反対する人たちの言う「国策を誤った」のは当時の日本政府あるいは軍部であり、「国策を誤った当時の日本と同じ国旗、国歌はいやだ」という主張をドイツ第三帝国の状況と同一視するのは論理的に無理がある。

 もし、悪い侵略戦争だったとしたら、そのシンボルである日の丸、君が代を忌避するのは、かえって罪を逃れる卑怯な行為になるのではないか。日本の過去が過ちだったとしたら、そう認識した人は過去から目を背けてはならない。過去を背負って現在に継承しなければならないはずだ。そしてそうであれば、他国を公然と併合し人権弾圧を行っている近隣国に平和の尊さを教え「国旗を変えろ」「国歌を歌うな」と主張してほしいものだ。…まあ、無理だろうが。

 小中学校や高校の入学式や卒業式で、国歌を歌わない権利があるとして児童、生徒に特定の政治イデオロギーを強制する勢力が存在する。こういう人たちは、国歌を唄いたくても唄えない、国旗を掲げたくても掲げられない、侵略下の地域にある子供たちのことなど考えたこともないに違いない。

 2001年のブータン映画、「ザ・カップ」は、チベット亡命者の少年僧が寺院で禁じられたW杯のテレビ観戦を何とか苦労して実現させる物語だが、主人公の少年僧が「僕らが国歌を歌える日が来るのかな…」とつぶやくシーンこそ、日本人の幸せな環境を何よりも雄弁に物語っている。

 日本人が大声で君が代を歌い上げなければ、あの主人公の少年に失礼なことをしていることになると思う。

 北京の空に日の丸が翻り、君が代の美しい旋律が流れる日を、今から楽しみにしている。
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by deracine69 | 2008-05-22 23:59 | スポーツ