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ラオスで新たな鳥インフル

2008/9/ 9 (14:19) newsclip.be

 【ラオス】ハノイからのAFP電によると、ラオス北部で先週、鳥インフルエンザが新たに発生し、家きん類約7000羽が殺処分された。

 感染が見つかったのは、世界遺産のルアンパバーンの北150キロの村落だという。
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by deracine69 | 2008-09-09 14:19 | アジア・大洋州  

モン族難民収容キャンプで火事 タイ北部

2008/5/26 (03:28) newsclip.be

 【タイ】23日、タイ北部ペチャブン県にあるラオスの少数民族、モン族の難民収容キャンプで火事があり、竹などで編まれた小屋800棟以上が焼失した。タイ当局は国際社会の注目を集めるため難民が放火したと見ている。

 モン族は1960―1970年代のインドシナ戦争で米軍側についたため、終戦後、ラオス国内で弾圧を受け、数万人がタイに難民として逃れた。難民の多くは米国などへの出国を希望しているが、タイ政府は一部をラオスに送還し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などから批判を受けている。
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by deracine69 | 2008-05-26 03:28 | アジア・大洋州  

タイ-ラオス間、インド-ブータン間 中国にらみ…鉄道網整備

FujiSankei Business i. 2008/5/22

 中国南部と国境を接する東南、西南アジアで、その地域で初めてとなる鉄道の建設が相次いでいる。

 ラオスでは鉄道でタイと結ぶ初の路線がほぼ完成し、5月末の運行開始を見込んでいる。開通直後は1日2往復を予定。ラオスはタイ経由での観光客の増加や鉄道輸送による貿易増など、経済交流の拡大を期待している。

 タイはさらに鉄道をラオス経由で中国雲南省の昆明までつなげたい意向で、東南アジアと中国の陸路による物流が将来、大幅に拡大する可能性がある。

 タイとラオス間の鉄道は、タイ東北部ノンカイ駅とラオス中部タナレン駅を結ぶ5・3キロの単線。両国間を流れるメコン川に架かる橋の中央に線路を引いた。

 ラオス側が建設を担当した橋の中央からタナレン駅までの3・5キロの建設費は、タイの融資と無償供与の計1億9700万バーツ(約6億4600万円)でまかなわれた。ラオス国内ではタナレン駅から首都ビエンチャン中心部まで鉄道を約9キロ延伸する計画もある。

 また、ヒマラヤ山脈の東端にあるブータンでは、インドの支援で初めての鉄道が建設されることとなった。

 このほどブータンの首都、ティンプーを公式訪問したインドのシン首相は、インド西ベンガル州とブータン南部を結ぶ鉄道建設計画を議会演説で明らかにした。鉄道を含めたインフラや通信への経済支援総額は、今後5年余りで1000億ルピー(約2450億円)に上るという。

 インドと国境問題を抱える中国が、チベット自治区ラサからネパール国境付近までの鉄道建設を計画しているほか、ブータン国境でも軍事的圧力を強めている。このためインドには、この地域での中国の影響力拡大に対抗する狙いもあるとみられる。

 鉄道の計画はインド側ハシマラから国境を越えたプンツォリンまでの約50キロで、完成まで2年かかる見通し。ハシマラには中国を強く意識したインド空軍の基地があり、新鋭攻撃機配備に向け整備が進められているほか、付近に陸軍も駐留している。

 インド国鉄は東部ビハール州とネパール首都カトマンズを結ぶ鉄道建設に向けても、ネパール政府と交渉を続けており、人的往来や経済交流の拡大に加え、安全保障上の理由での鉄道網整備を進める意向だ。(坂本一之)
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by deracine69 | 2008-05-22 12:00 | アジア・大洋州  

STOPクラスター:インドシナ戦争の傷跡 不発弾7800万発、うめくラオス

毎日新聞 2008年5月1日

f0013182_1131587.jpg ◇地中に潜む恐怖

 不発弾が数十年先までも市民の生活を脅かすクラスター爆弾。1960~70年代のインドシナ戦争の激戦地だったラオスは、その最大の被害国に数えられる。戦後30年以上を経た今も、人々は地中に埋もれた子爆弾の恐怖にさらされ、多くの市民が障害を負ったまま、苦しい生活を強いられている。【シェンクアン(ラオス東部)で藤田悟】

 ◇腕も目も希望も奪われた

 ■夢でも爆発音

 ベトナム国境に近いシェンクアンの一帯は高原ののどかな田園地帯だ。ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)時に米軍の激しい空爆を受けた事実も、今の光景からはうかがうことができない。だが、この地では戦争はまだ終わってはいない。

 59世帯、360人が暮らすウェーン村の住人、ムンさん(47)の右目は光を失っていた。右腕はひじから先がない。そして、歩くたびに右足をひきずり、体が左右に揺れた。簡素な手作りの長椅子に腰掛け、ムンさんが口を開いた。

 「ぼくには希望はありません。死ぬまでの時間をどうやってやり過ごすか、それだけを考えています」

 16年前。ムンさんはいつものように田に出た。だが、運んでいた土を地面に落とした時、衝撃を受けた。意識を失い、気が付くと病院のベッドに横たわっていた。土の中にクラスター爆弾の不発弾がひそんでいたのだ。

 約1カ月後に退院したが、右腕と左手の薬指、それに右目の視力を失い、畑仕事に出ることはできなくなった。つえをつきながら牛を追うのが精いっぱいだ。

 「まともな仕事ができないからね」。結婚して家族を持つこともあきらめた。今でも夢の中で爆発音を聞いて、目を覚ますことがあるという。「爆弾を落としていったやつらが憎い」。ムンさんは遠くを見るような表情でつぶやいた。

 ソムペット村長によると、戦争後の75年以降、村での不発弾の被害者は死者12人を含む38人。村民の約1割に当たる数だ。

 ◇被害者、半数は子供

 ■農作業で被害

 60年代初めから、左派、中立派、右派の3勢力による内戦に揺れたラオスは、60年代半ばに入ると、ベトナム戦争に巻き込まれた。当時の北ベトナム軍は、南ベトナムで戦う兵力への補給路としてラオス東部のジャングルを使った。

 南ベトナムを支援する米軍はこのルートを断ち、ラオスの左派勢力を抑えるため、じゅうたん爆撃を重ねた。和平協定が結ばれた73年までの約10年間で、投下された爆弾は200万トン以上といわれる。

 このうち、最も大量の不発弾を残したのが、一つの爆弾で数個から数千個の子爆弾を飛散させるクラスター爆弾だった。ラオス政府は、飛散した計2億6000万個の子爆弾のうち、30~10%が不発のまま残存していると推計する。最大7800万個が地中に埋もれている勘定だ。

 政府が把握する不発弾の被害者数は99~07年の間で死者314人を含む1038人。クラスター爆弾による被害が約6割を占める。別の推計では73~96年の被害者は1万1000人とされている。

 農作業時の被害が多い。子供が危険物と知らずに遊んでいた時の爆発も絶えず、被害者の約半数は子供だという。

 ◇探知機で慎重に…「処理、何百年かかるのか」

 ■5センチの悪魔

 シェンクアン一帯は戦争時、左派勢力の拠点だったため、特に激しい空爆にさらされた。残存する不発弾も多く、73年以降の被害者は1932人に上り、うち842人が命を落とした。

 ウェーン村そばで、政府が進める探知作業の様子を見た。9人がチームを組み、金属探知機を使ってゆっくりと進んでいく。反応音があれば、その地点に棒を立て、より精密な探知機で不発弾の有無を判断する。

 不発弾を発見した場所を見ると、野球のボールより少し小ぶりな金属弾(直径5センチ)が地中から顔をのぞかせていた。至近距離で爆発すると数人の命を奪う爆発力を持つ。

 不発弾には爆薬を乗せて導線をつなぎ、爆破処理する。探知から処理まで、根気のいる危険な作業だ。シェンクアンで処理が終わった面積はまだ0・18%に過ぎない。

 政府は96年以降、日本など外国の政府や民間団体の支援を受け、不発弾の処理を本格化させた。07年までに処理した不発弾は、ラオス全土で81万個。うち半数弱の38万個がクラスターの子爆弾だ。

 だが、処理面積は「危険地域」とされる面積の0・15%にとどまっている。担当のマリニャ国家調整局長は「このペースだと、すべての危険地帯の処理が終わるまでに何百年もかかる」と語る。

 ◇まさか自宅の庭に
 ■経済発展に影

 シェンクアンの病院には5日前に被害に遭った一家が入院していた。「まさか自分の家の庭に不発弾があるとは」。1人だけ農作業に出ていて、被害に遭わなかったビアンケオさん(54)はうなだれた。

 爆発は妻のバンさん(35)が庭を掃除している時に起きた。すぐそばにいた次男のブンマ君(6)は即死。バンさんと長男のスリデイト君(11)、長女のペッチダーちゃん(9)は全身に破片を浴びた。スリデイト君は失明の恐れがあるという。

 ソムサバイ病院長は「年平均100人前後が不発弾の爆発で入院する。子供が傷つけられることが悲しい。次の世代には、こうした被害をなくすことが我々の義務だと思う」と力を込めた。

 アジアの最貧国の一つに数えられるラオス。市場経済の導入で経済成長を目指すが、膨大な不発弾の存在が暗い影を落とす。「不発弾は農業や林業を難しくしているだけでなく国家全体の発展を大きく阻害している」とマリニャ局長は話す。

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 ■ことば

 ◇クラスター爆弾
 戦闘機から投下、または地上から発射され、空中で容器が分解し、数個から数千個の子爆弾をまく兵器。米国やロシア、日本など75カ国が保有する。過去に少なくとも約25カ国・地域で使われた。紛争終結後も長期に残る不発弾で多数の市民が死傷しており、人道上問題となっている。
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by deracine69 | 2008-05-01 08:00 | アジア・大洋州  

ラオスでミャンマーを知る

2008年4月1日 世界日報

 ラオスでは、一九七五年の革命政権発足当時、僧侶は粛清の対象だった。閉鎖された寺院も多かった。存続した寺院でも、僧侶は労働を強いられたり、托鉢(たくはつ)は禁止された。
 やがて、教条主義的熱狂から覚めた現実主義者らが政権を担当するようになると、伝統的仏教の存在こそは社会の安定と発展をもたらすものとして、その活動を認めるようになった。

 今では仏教指導者を育成するため、首都ビエンチャンと南部のパクセーなどに三年制の仏教大学も運営されている。

 そのパクセーの仏教大学を訪れた。学生は大体、二十三歳から三十歳ぐらいまでと結構高齢だ。いずれも十代から寺に入り、僧侶としての訓練を経た後、学識を高めるため寺から派遣された学生ばかりだ。授業料は無料で、経典を原語で読むためのパーリ語や仏典だけでなく、英語などの語学や西洋哲学、社会学など幅広い教養も身に付けられるようになっている。

 休憩時間に二十分程度、学生らと話した(写真)。流暢(りゅうちょう)な英語に驚かされる。しかも、米国の金融危機など時事問題などにも関心が高い。少し話すだけで、彼らがただお経を読むだけの愚鈍な僧侶ではなく、世界情勢を読み込み、高い社会学的関心を持っていることが分かる。

 なるほど、と思ったのは、彼らが地域のリーダーとなるべきエリートであるということだった。

 半年前、ミャンマーで僧侶による民主化要求デモが起きた。通常、発展途上国では学生が、こうしたデモをリードした歴史があるが、ミャンマーでは地域の伝統的リーダーである僧侶がこの役割を担った。そうした僧侶の知的パワーと社会でのステータスの大きさを、ラオスの仏教大学で実感したというわけだ。

 話が途切れると、彼らはすかさず「相撲取り(ジャパニーズ レスラー)は、何キロあるのか」と聞いてきた。「大体、百五十キロだ」と答えると、五十キロ前後の学生たちは「一度、その巨体を見てみたいものだ」と素朴な興味を示したのが印象的だった。

文と写真・池永達夫

(本紙掲載:3月31日)
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by deracine69 | 2008-04-01 12:00 | アジア・大洋州  

ゴールデントライアングルで銃撃相次ぐ

2008/3/22 (03:17) newsclip.be

【タイ】タイ字紙の報道によると、19日朝、タイ北部チェンライ県でメコン川を航行中の船2隻が銃撃を受け、数人が死傷した。現場はタイ、ミャンマー、ラオスが国境を接する通称「ゴールデントライアングル」の近くで、襲撃者、被害者の双方が少数民族だったとみられている。

 メコン川上流の中国雲南省西双版納タイ族自治州では先月25日、中国のパトロール船が銃撃され、警官3人が負傷した。今月15日にはゴールデントライアングル周辺でミャンマーのタイ族系少数民族シャン族の武装グループと麻薬組織の銃撃戦があった。
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by deracine69 | 2008-03-22 03:17 | アジア・大洋州  

注文殺到のコーヒー企業−高品質、無農薬・有機を売りに

2007年10月9日 ジェトロデイリー通商弘報

コーヒー輸出国としては知名度も低く、生産量も少ないが、最近、欧州からの注文が殺到している企業がある。農家への優良種苗の提供と栽培管理の徹底、しっかりした選別によって生豆の品質が飛躍的に向上したことによる。おまけにラオスのコーヒーは、無農薬、有機栽培である。貧しくて高価な農薬や化学肥料が買えなかったことが幸いして付加価値を生むことになった。コーヒーに砂糖とミルクを加えた「3 in 1」のインスタントコーヒーの生産も始まり、コーヒー大国ベトナムへ輸出するまでに成長している。
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by deracine69 | 2007-10-09 23:59 | アジア・大洋州  

ラオス支援 今後も 留学生が帰国報告 「村部の復興厳しい」

庄和RC 文具や遊具贈る
2007年10月8日 埼玉新聞
 
 ラオスから留学、南埼玉郡宮代町の日本工業大学大学院で工学建築を学んでいるポァニチャン・シンタノンさん(27)が、この夏休みを利用して六年ぶりに帰国した。支援を続けている庄和ロータリークラブ(横井秀明会長、会員二十五人)から文房具などを託され、村部の学校に届けた。RCでの帰国報告会でシンタノン君は、お礼を述べるとともに「復興は都市部だけ、村部は依然として厳しい。引き続き日本の支援を」と話した。

■学校に行けない

 今回訪れたのは、首都ビエンチャン北部農村地帯にある故郷と周辺村の五つの小学校や幼稚園。

 どの村も貧しく、子どもたちも家族労働に従事し、八割が学校に行けない。庄和RCから託されたのはノートや鉛筆、絵本、ブロック遊具など。現地の物価で日本円に換算すると、三百万円以上に相当するという。

 「とても喜ばれました。学校に行きたくても行けない子どもたちが大半です。道路はできたがほとんど未舗装。山岳地帯は起伏が激しい上に雨ですぐにぬかるんでしまい、学校は閉鎖されます」

 首都ビエンチャンから一歩出ると、終戦後も変わらない農業国・ラオスの素顔があった。

■留学支援

 シンタノンさんは父母と弟妹四人きょうだいの長男で、ラオス国立大学在学中に留学生試験に合格して来日した。一年間日本語学校へ、続いて工学院専門学校(現在は大学)で二年間建築学を学び、編入により日本工業大学へ。現在、同大学大学院博士課程の前期生。

 庄和RCは町が合併して春日部市の一部となった後も独立RCとして、地域での奉仕活動や国際交流に取り組んでいる。アフガンへの復興支援やラオス支援もその一環。横井会長は「ロータリーの精神である『わかちあいの心』に基づいて、今後も可能な限り、支援活動を続けていきたい」と話している。

■戦争の傷跡

 シンタノンさんにとって六年ぶりの帰国は喜びとともに、心の痛みを伴うものだった。

 「家族が元気だったのが何より。まだ子どもだった弟や妹はすっかり大人になって働いていた。復興は都市部のほんの一部。特に農村は教育などすべてが遅れている。道路はやっと部分開通したものの、地雷原、不発弾の多くは手つかずのままです」

 帰国の際に空から見た「故郷の風景」がショックだったという。

 「米軍の空爆でできた大きな穴が無数にあるのです。当時、人口一人当たり三・五トンの爆弾が投下されたといわれます。戦争の傷跡は、何十年も続くのです」

 大学院修了後どうするか考えている。祖国に帰るか、日本に残り、こちらから支援するか。「いずれにしても専門知識を生かして、両国の懸け橋になるつもりです」

・・・・・

 ラオス フランスの植民地支配から脱して1949年に独立したが、内戦が起こりベトナム戦争でさらに拡大、米国から空爆を含む激しい攻撃にさらされた。75年に停戦。左派パテト・ラオが実権を握り、王政を廃止して現在の共和制に。人口約600万人のうち8割が農業に従事。GDPは1人当たり年2000円弱。世界142位にランクされている。
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by deracine69 | 2007-10-08 23:59 | アジア・大洋州  

新たな進出先として注目高まる−08年1月に日本との投資協定締結へ

2007年10月5日 ジェトロデイリー通商弘報

インドシナ半島を横断する東西経済回廊の開通により、ラオスが注目を浴び始めている。東南アジアの製造拠点であるタイとベトナムを結ぶ扇の要に位置するという好立地に加え、周辺国に比べて低廉な労働力は魅力である。また「宝物の上に住む貧乏人」と呼ばれるほど鉱物資源も豊富だ。日系企業の本格的な進出を支援するため日本とラオスの間で投資協定の交渉が進められている。
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by deracine69 | 2007-10-05 23:59 | アジア・大洋州  

ベトナムのクマを救え、残虐な違法取引阻止を目指すセンター開設

2007年10月05日 07:21 AFPBB News
発信地:ハノイ/ベトナム

【10月5日 AFP】小さなおりに押し込められ、ベトナムとラオスの国境を越えて密輸されようとしていた野生の子グマ3頭は、東アジアで盛んに行われているクマの胆のうの違法取引の犠牲になる寸前だった。

 3頭はクマの胆のうでつくられる胆汁を取るために捕獲され、5月に保護された時にはそれぞれ体重2キロほど。栄養と健康状態が極端に悪く、おびえきっていたという。バスに乗せられ国境を越えようとしていたところを旅行者が見つけて環境保護団体に通報、当局に保護された。

 3頭は今、マラ(Mara)、マウジ(Mausi)、オリー(Olly)と名付けられ、動物保護団体のAnimals Asia Foundation(AAF)が設置したクマ救出センターの初の「住人」になった。首都ハノイ(Hanoi)北部のタムダオ(Tam Dao)国立公園の一角にあるこのセンターは、200頭を収容し、保護されたクマを森の中で回復させるとともに、クマの胆のうの違法取引阻止の一翼を担いたい考えだ。

 クマの胆のうはアジアの伝統薬に使われ、ベトナムでは滋養強壮剤や抗炎症薬、肝臓や心臓病の治療薬、媚薬として売られているほか、シャンプーや歯磨き粉、ソフトドリンクにも添加されている。

 AAFベトナムのTuan Bendixsen局長によると、クマの胆のう抽出はクマに苦痛を与え、命を危険にさらすという。中国では胃に穴を開けて胆汁を流れ出させる方法を採用。ベトナムでは薬でクマを気絶させた後、長い針を使って胆汁を取り出すが、クマが完全に意識を失うわけではなく、針も衛生的でないためクマが感染症や病気にかかることもある。わなにかかって足先を切断されたり、クマの手のスープや酒にされることもあるという。

 野生生物の取引監視団体TRAFFICによると、クマはすべての種がワシントン条約(CITES)で国際取引を規制されており、ベトナムも同条約の締約国だという。違法取引や生態系の破壊により、ベトナムのツキノワグマは絶滅の危機にひんしており、密猟者はラオスやカンボジアとの国境に近い森の奥深くにまで入り込んでいる。

 ベトナムは動物保護団体からの圧力で2005年にクマ製品の商業取引を禁止し、クマ牧場も禁止した。しかしBendixsen局長によると、国内で少なくとも4000頭が捕獲され、おりに入れられたままになっており、現在でもクマの胆のう抽出が続けられているという。

 ハノイでも地方都市でも、クマの胆のうを宣伝する店があちこちにあり、経済成長に伴って可処分所得が増えれば、クマの胆のう需要がさらに高まるのではないかとTRAFFICの関係者は懸念する。

 AAFのレスキューセンターに保護される200頭は氷山の一角にすぎず、国からの許可が下りれば施設をさらに拡充していきたいとBendixsen局長は話している。
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by deracine69 | 2007-10-05 07:21 | アジア・大洋州