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日航機墜落事故から23年、遺族ら鎮魂の灯籠流し

8月11日23時53分配信 読売新聞

 520人の命が奪われた日本航空のジャンボ機墜落事故から、12日で23年。現場となった群馬県上野村・御巣鷹の尾根のふもとを流れる神流(かんな)川では11日夕、遺族らによる灯籠(とうろう)流しが行われた。

 東京・羽田の日航安全啓発センターではこの日、遺書以外では初の遺品の公開も始まった。

 亡き人への思いなどを書き込んだ300個の灯籠が川面に揺れ、遺族らは事故で犠牲となった歌手坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」を合唱し、鎮魂と安全への祈りをささげた。

 事故で父・孝之さん(当時29歳)を亡くした関西学院大学4年の小沢秀明さん(22)は、当時は母親のおなかの中だった。遺族を代表し、「こうした事故が二度と起こらないよう、また風化させないように若い世代に伝えたい」とあいさつした。

 一方、安全啓発センターに新たに展示されたのは、17点の遺品。墜落時刻の「午後6時56分ごろ」を指したまま止まっている五つの腕時計、レンズが外れて大きく曲がった眼鏡フレーム、楕円(だえん)に変形したカメラレンズなど、いずれも墜落の衝撃を物語っている。日航が保管する持ち主がわからない遺品は約2700点に上る。遺族に公開した後、18日以降、一般にも公開する。同センターは予約制。問い合わせは同センター(03・3747・4491)。
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by deracine69 | 2008-08-11 23:53 | 社会  

衝撃!! 羽田の鳥居の祟り事件はインチキだった!!

2008年5月13 15時0分 内外タイムス

f0013182_3154752.jpg かつて羽田空港の駐車場に場違いな鳥居が立っていたのをご存じだろうか。空港建設のために神社を移転したが、鳥居を取り壊そうとする工事関係者が次々と原因不明の病や事故で倒れたため、鳥居だけ残ったのだ。1999年、結局、この鳥居は移転されたのだが、オカルト作家・山口敏太郎氏は、少なくとも99年の鳥居の移転にまつわる祟りの話は、実はデタラメだと断言する。

 羽田空港の敷地に取り残された鳥居は、“祟る”と言われており、人々から畏怖されてきた。元々、この鳥居は江戸時代から続く地元の穴守神社の鳥居のひとつであったのだが、昭和20年にGHQが羽田を国際空港にするため敷地を買い取り、移転されることになった。そして、昭和20年に行われた移転作業中に不可解な事件が起こった。穴守稲荷の拝殿や他の鳥居は容易に倒されたのだが、問題の赤鳥居を倒す際、ロープをかけて倒そうとしたところ、ロープが切れ作業員たちに死傷者が出てしまった。また、鳥居に手をかけた日にかぎって、飛行機の機器に不良が起こるという異常事態が続いたのだ。

 結局、赤鳥居は残されたまま、昭和29年に東京国際空港ターミナルビルが建設された。同時期には滑走路も拡張されたが、この工事中にも死傷者が続出した。また日本エアシステムでは昭和47年函館山で墜落事故が起こってから、毎月3日に会社幹部が、穴守稲荷に参拝するようになり、本社内どころか、整備場、旅客機、ヘリコプターなどに穴守稲荷のお札を貼るようになった。羽田・赤鳥居の祟りは近年まで続き、平成の移転に至ってようやく移動が完了できたというのだ。

 確かにこの「羽田の鳥居」にまつわるうわさは昭和のある時期までは事実として語られていた。さらに、一部のムック本や怪談本では「平成の鳥居の移転のとき、作業を受け持った下請けの社長が死んだ」という話が語られているが、この話は事実ではない。平成の鳥居の移転はなんの祟りもなく終わったのだ。実話ではなく、流布話(=都市伝説)として、フォークロアの一環という見地から評価するなら問題はないが、少なくとも実話ではない。

 実は筆者は若いころ、この移転作業を請け負った企業・日本通運の社員であった。筆者は移転当時、日本通運関東支店広域営業に主任として赴任していた。この業務は、ゼネコンの鹿島が受注し、日本通運本社重機建設部が鹿島からの依頼を受け、作業を行った。無責任な怪談話では、町のトビが請け負ったように言われているが、この作業は“建設工事”ではない。この作業は“重量物運搬作業”であり、運送業者が請け負う作業であって、そもそも職種が違う。日本通運のアンダー、つまり鹿島からみると孫請けで、玉掛け作業や、クレーンの誘導などでトビが入ることがあっても、トビ関連の企業が一式を請け負うことはない。間違ってもスーパーゼネコンと町の一企業との付き合いはありえない。また特殊な技術を必要とすることから、運送会社でも数社に限られてくる作業であった。

 無論、筆者は当時から心霊・妖怪など不思議分野の研究に余念がなかった。故にこの工事にも注目していた。しかも、筆者の直属の上司であったG課長が現場に立ち会ったのだ。作業の翌日、G課長に詳しく聞いたのだが、風がやや強かったというだけで、何も呪いなどなかったというのだ。もちろん、鹿島から仕事を請け負った下請けである日本通運の社長が死んだという事実はない。少なくともこの怪談を、筆者は事実に基づいた怪談とは認めていない。

 果たして、この怪談は誰が作り出したものであろうか?昭和に起きた羽田の鳥居にまつわる怪談が、死亡や祟りがなかった平成の移転工事さえも、怪談話に祭り上げてしまったのかもしれない。怪談や心霊スポットは、人々の無意識が生み出すものなのだ。

〈プロフィール〉
やまぐち びんたろう
1966年7月20日、徳島県生まれ。96年学研ミステリーコンテストの優秀賞を妖怪進化論で受賞。以後ドリームスタープロジェクト小説部門、大石りくエッセー、坂本龍馬からの手紙など不思議分野、歴史分野、エッセー分野など各コンテストで11のタイトルを奪取し、プロに転向する。これまで30冊以上の単行本・ムックを刊行。各種オカルト単行本や小説を執筆している。
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by deracine69 | 2008-05-13 03:13 | 社会