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ハーレム劇的変化 安全で清潔「第二のルネサンス」/「消え行く個性」嘆く声も

 犯罪や貧困のイメージが長らくつきまとってきたニューヨーク市マンハッタン北部の黒人居住区、ハーレムが劇的な変化を迎えている。一九九〇年代後半から始まった街の再開発が軌道に乗り、大型スーパーやショッピングセンターにとどまらず、最近は高級感を売り物にした店も進出を始めている。安全で清潔になった街の発展を「第二のハーレム・ルネサンス」として歓迎する声がある一方、街の個性が消えつつあることを嘆く声もある。(ニューヨーク 長戸雅子)
 セントラルハーレムの中央を走るレノックス・アベニューに三月、瀟洒(しょうしゃ)なガラス張りのバーがオープンした。キャビアとシャンパンを売り物にする「エンペラーズ・ロー」だ。



 キャビア料理は一皿二十ドル前後と一般的な値段だが、一本三百ドルのシャンパン、一オンス二百二十ドルの最高級キャビア、ベルーガなどがメニューに並び、高級感を売り物にしている。

 ウエートレスとして働くエボニー・ローソンさん(25)は「私が子供のころは廃虚ばかりだった。それがこういうお店ができるきれいな街に変わったことを今、息子に話してあげられるのがとてもうれしい」と笑顔を見せる。オーナーのデービス・ミリスさんも「ハーレムとキャビア、シャンパンという組み合わせは確かにミスマッチかもしれない。でもここに長く住んでいて、こういう店を出す機が熟したと感じた」と話す。

 十七世紀のオランダ人の入植から始まったハーレムはもともと高級住宅地として開発されたが、二十世紀初め供給過剰で空き室が多くなり、職を求めて南部からやってきた黒人が住むようになった。一九二〇年代初めにはジャズなどの文化が花開いたハーレム・ルネサンスと呼ばれる黄金期を迎えたが、二九年の大恐慌などの影響で荒廃していった。

 九〇年代に入り、ハーレムは連邦政府によって再開発重点推進地区に指定された。二〇〇一年にはクリントン前大統領が事務所を開いて全米の話題となり、大型スーパーのパスマークの誘致にも成功した。以後、衣料品の「H&M」やスニーカーの「フットロッカー」など若者に人気のチェーン店が続々やってきた。高級ホテルチェーンのマリオットも建築中で、これらの大型資本店が立ち並ぶ百二十五丁目は今や「ハーレムの五番街」といわれている。

 しかし、開発が進むと同時にテナント料は高騰した。不動産業界紙によると、昨年春からの一年間で百二十五丁目のテナント料は54%も上昇、マンハッタン全体の平均に近づきつつある。

 この結果、昔ながらの個人商店主は立ち退きや廃業を余儀なくされ、シャッターが下りたままの店舗が連なるビルも点在する。

 ハーレムに半世紀以上住み、商店街のシャッターに無償で絵を描き続けるハーレムの「ピカソ」こと、フランコさん(78)は「安全で多くの人が来てくれるようになったけれど、ここで快適に暮らしていた人が追い出されるような変化には反対だ。もう多くの友人がここを出ていったんだ」。

 フランコさんの妻、希美さんも「二、三年前に白人女性がベビーカーを押して歩いているのを見て、この街は変わったんだと感じた。前はラジカセを肩に乗せてダンスしながら歩いている人を見かけたけど、今は見られない」と消え行く街の個性を惜しんだ。

(産経新聞) - 5月15日16時12分更新

by deracine69 | 2006-05-15 16:12  

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