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シベリア抑留補償せず、慰労品のみ 参院委で与党案可決

2006年12月15日08時12分 朝日新聞

 戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留された元日本兵らが強制労働への国家補償を求めている問題で、参院総務委員会は14日、「補償金」ではなく、一人あたり最高10万円相当の「慰労品」を元抑留者らに贈る与党提出法案を賛成多数で可決した。15日の本会議で可決・成立する見込み。与党は同法案を戦後処理の「最終決着」と位置づける。日ソ共同宣言から50年。「これが補償の最後の機会かも」と望みをかけてきた高齢の元抑留者から、ため息が漏れた。

 シベリア抑留者への補償については、56年の日ソ共同宣言でソ連への請求権が放棄されている。

 政府は一貫して「国に法的な補償責任はない」と主張。88年には特別法にもとづいて「平和祈念事業特別基金」を発足させ、軍人恩給の資格がない約18万人の元抑留者に一人10万円の国債や銀杯、感謝状などを贈呈してきたが、あくまでも「慰労金」「慰労品」と位置づけてきた。

 与党案は、同基金を10年9月末までに廃止し、事前に資本金を取り崩せるとする内容。「基金が役人の天下り先になっている」との批判を踏まえた。資本金400億円の半額を使い、元抑留者らに10万円相当の旅行券などを配る考えだ。残る半額は国庫に返納する。

■抑留者「汚名のまま、あの世に行けぬ」

 「金を寄越せばいいという話ではない。奴隷労働の汚名を着せられたままでは、我々はあの世に行けない」。傍聴に訪れた全国抑留者補償協議会の寺内良雄会長(82)は、「謝罪」も「補償」もないまま幕を引こうとする政府・与党の姿勢に憤った。

 「本当に生き地獄でした」と、東京都狛江市の松原恒雄さん(87)は4年間の収容所生活を振り返る。冬のシベリアは零下20度。瞬きすら凍る。飢えや病気で、一夜で10人死んだ。だが、硬く凍りついた大地は、葬る穴を掘ることすら拒む。たき火をおこし、熱でわずかに溶けた表土をツルハシで掘り、仲間を埋めた。それも翌朝にはオオカミに食べられていた。

 機関銃を持つ歩哨の監視下で、見上げるような針葉樹をノコギリだけで半日かけて切り倒し、残りの半日で輪切りにする。あまりの過酷さに、わざと凍傷にかかり、病院送りを選ぶ者もいた。

 10月には雪が舞い始める。港が凍り、日本への帰還船が入港できなくなることを意味した。「今年もダメだ。帰れない」。死んだものだと、実家は墓を建てていた。

 そんなシベリア暮らしを知らない人が国会議員をやっていると、炭坑町の収容所で4年を過ごした新関省二さん(80)は嘆く。「80人の戦友にも、おそらく補償は無理だと、はがきで伝えた。そしたら『もうゆっくりしろ』と返事が……。でも、やめるわけにはいかない」。涙声で語った。

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 〈キーワード:シベリア抑留〉 中国東北部や朝鮮北部などに駐留していた日本兵や民間人約58万人が、第2次世界大戦後、2~11年にわたり旧ソ連各地やモンゴルに連行され、鉄道建設などの労働を強いられた。飢えや寒さや病気などで、少なくとも5万人を超える人が死亡したとされる。現在、生存する元抑留者は10万人余とみられる。元抑留者らへの補償については、最高裁が97年に「(補償の要否は)立法府の裁量的判断にゆだねられる」と判断。国会の対応が注目されていた。

by deracine69 | 2006-12-15 08:12 | 政治  

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