安倍首相退陣 独走の果ての重い遺産
9月25日 北海道新聞けじめは必要だと考えたのだろう。安倍晋三首相が入院先の病院で最後の記者会見を行い、突然の辞任で多大な迷惑をかけたと国民にわびた。
「体調が悪化し続け、体力に限界を感じた」との言葉には、不本意な形で退陣する無念さもうかがえた。
昨年九月の首相就任からちょうど一年。安倍内閣はきょう総辞職する。十日余りの入院期間中に政界の焦点は後継首相選びに移り、首相はあっという間に過去の人になってしまった。
といって首相が手がけた政策や成立させた法律を忘れるわけにはいかない。今後も国民生活に影響を及ぼし続けるからだ。
デビューは鮮やかだった。就任早々、中国と韓国を訪問し、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で途絶えていた首脳外交を復活させた。ただその後の外交が幅を広げたとは言い難い。
基軸とした対米関係は従軍慰安婦問題や対北朝鮮政策をめぐりぎくしゃくした。政権の看板にもなっていた拉致問題も具体的な進展は見えない。
来年の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)に向け地球温暖化対策で指導力発揮を目指していたが、「主張する外交」の真価が問われるのはまさにこれからだった。
足跡がはっきりしているのは内政の方だ。中でも教育基本法の改正と改憲に道筋をつける国民投票法の成立に、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍カラーが最も反映された。
首相は前政権から引き継いだ巨大与党を背景に野党の反対を強行採決で押し切り、強引に突き進んだ。どちらも自民党の積年の政策課題だ。一年足らずの短期間で実現させたことを評価する人もいるだろう。
だが首相の政治理念や手法に反発や違和感を感じた国民も多かった。集団的自衛権の解釈見直しや九条改憲を公言する首相の独走を危ぶみ、警戒感を抱く。そうした世論の動きが参院選惨敗の要因にもなったのではないか。
首相は「千万人といえども吾(われ)ゆかん」という「孟子」の言葉を好んでいた。たとえ世論の批判を浴びようとも、正しいと信じる政治を断行するとの思いだったのだろう。
その分、説明責任を軽視する場面が目立った。政治とカネの問題は典型で、政治の信頼は地に落ちた。政権の命取りとなった民意とのずれは、世論に迎合しないという祖父岸信介譲りの姿勢からも予測できたように思う。
その人が高い人気を当てにされ、自民党の「選挙の顔」に祭り上げられて政治的に未熟なまま国政の中心に押し出された。皮肉なことであり、国民にとっては不幸だった。
年金問題で政府不信も強い。安倍政権の負の遺産をどう克服するか。自民党だけでは負いきれぬ重い課題だ。
by deracine69 | 2007-09-25 23:59 | 政治