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ミャンマー/世論無視の圧政は限界だ

2007/09/27 神戸新聞

 僧侶や市民によるデモが続くミャンマーの国内情勢が、一気に緊迫してきた。

 最大の都市ヤンゴンなどでは連日、軍事政権に抗議するデモが行われ、その規模は十万人にまで膨らんでいる。

 軍政当局は、ヤンゴンと第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令して武装兵士を配備。僧侶らに威嚇射撃をしたり催涙弾を打ち込んだりして死傷者が出たほか、多数が拘束されたと伝えられる。

 きょう二十七日は、軟禁下にある民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)の結党記念日である。デモが、さらに大きく広がるかもしれない。

 国連の潘基文事務総長は、「自制と対話の促進」を軍政当局に求める声明を発表した。当局は、国民や国際社会の声に真(しん)摯(し)に耳を傾けるべきだ。流血をこれ以上、拡大させてはならない。

 ミャンマーは、国民の九割が仏教徒で、四十万人を数える僧侶は、国民の精神的な支柱といえる。その僧侶を含む多くの国民が、なぜデモに立ち上がったのか。

 引き金となったのは、先月中旬に実施された燃料価格の引き上げだ。バスの燃料となる圧縮天然ガスの小売価格は五倍に、ディーゼル油は二倍に跳ね上がって市民生活の混乱を招き、抗議デモが始まった。

 今月初めには、デモを行った僧侶が軍政関係者から暴行される事件があり、デモは僧侶主導の形で全国に広がった。

 しかし、一連のデモの背景には、もっと根深いものがある。

 民主化要求運動が高まった一九八八年、軍は国民に銃口を向け、千人を超える死傷者が出たとされる。軍が全権を握った二年後の総選挙ではNLDが圧勝したのに、軍政は政権移譲を拒み、スー・チーさんらの拘束・軟禁を続けている。

 九三年に新憲法制定のための国民会議が設立され、七段階の民政移管計画を示したが、やっと第一段階の新憲法の基本方針が決まったにすぎない。民主化への残る六段階は、日程すら明らかにされていない。

 こうした軍政に対する強い反発と、欧米諸国の経済制裁などによる生活の窮乏が、市民や僧侶を動かしたのは間違いない。

 ミャンマーに対し、米国や欧州連合(EU)が制裁強化を表明するなど、国際社会の圧力はいっそう強まっている。そうした国際世論を無視して、国民を力で抑え続けることは、もはや限界だろう。

 軍政当局は現実を直視し、民主化を求める国民の声に正面から応えるべきだ。




スー・チーさん/解放へ国際社会は結束を
2007/06/25 神戸新聞

 アウン・サン・スー・チーさんは先日、どんな思いで六十二歳の誕生日を迎えたのだろう。ノーベル平和賞を受賞したミャンマーの民主化運動の指導者である。

 一九八九年以降、十一年以上を拘束・軟禁下で過ごしている。この国の軍事政権が先月末、自宅に軟禁中のスー・チーさんに、さらに一年間の延長を伝えた。

 小泉前首相ら世界の首相、大統領経験者五十九人が、直前に連名で早期解放を訴えた。それを無視した暴挙といっていい。

 麻生外相との会談で、ミャンマーのニャン・ウィン外相は「国家の安定のため、延長せざるを得なかった」と説明している。国民に人気がある、スー・チーさんの影響力を恐れているのだろう。国際社会に説得力を持つ理由とは、とても思えない。

 長期の軟禁は、政治参加や個人の尊厳を踏みにじる重大な人権侵害である。軍事政権は、直ちに解放すべきだ。

 ミャンマーでは八八年、民主化運動が広がり、社会主義政権が崩壊した。だが、国軍が運動を鎮圧し、全権を握った。その二年後の総選挙で、スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した。ところが、軍事政権は民意を無視し、政権委譲を拒み続けるばかりでなく、政治的リーダーを見せしめのように取り扱ってきた。

 アムネスティ・インターナショナルによると、ミャンマーには千百人を超える政治囚がいる。厳しい弾圧で国民にはあきらめムードが広がり、軍政の翼賛団体に加わる人が増えているとも伝えられる。

 軍政は、新憲法制定に向けた国民会議を来月再開する意向だ。被選挙権を厳しく制限するなど、スー・チーさんの政治生命を断つ内容となる可能性が高い。

 非人道的な圧政が長く続いてきた背景には、国際社会の対応の乱れがある。

 国連安全保障理事会は一月、スー・チーさんら全政治犯の解放を求める米英提案の非難決議案を提出した。だが、中国とロシアが拒否権を行使し、否決された。

 中ロはミャンマーへの経済・技術協力を強めている。そうした結びつきが、人権抑圧から目をそらせている。

 日本は形の上では軟禁を非難しているが、ミャンマーの孤立化回避を優先し、欧米のような厳しい経済制裁を課していない。あいまいな対応が結果的に軍政を長らえさせているとすれば、やはり責任は重い。

 圧政で苦しみを強いられるのは国民であり、その象徴がスー・チーさんだ。弾圧を許さず、民主化を促すには、国際社会が結束を固めて当たるしかない。


スー・チーさん/即時解放が民主化の道だ
2005/12/02 神戸新聞

 軟禁生活が通算十年になるミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの拘束が、さらに一年延長された。

 タン・シュエ軍事政権が国家防御法に基づき、スー・チーさんを依然「国家の安全を脅かす者」と判断しているためである。

 母国の民主化と平和を願って政治活動に加わり、ノーベル平和賞まで受賞した女性をいつまで危険人物扱いするのか。

 解放すると、政情が一気に流動化しかねない。そんな危惧(きぐ)が延長の背景にあるのだろう。だが、現政権にとって独裁を強めて世界から孤立する方が危険ではないか。

 延長はミャンマーの民主化を望む国際世論に背を向ける措置であり、一日も早いスー・チーさんの解放を求めたい。

 スー・チーさんは英国から帰国して、野党の国民民主連盟書記長として活動していた一九八九年に拘束・軟禁された。

 六年後に解放されたが、その後また二年近く軟禁され、二年前に三度目の拘束にあった。自宅軟禁とはいえ、外部との接触が許されない不自由な生活と思われる。

 仲介役の国連特使も昨年三月以降、入国を拒否されたままである。長らくスー・チーさんの声も聞こえてこない。今年六十歳を迎えただけに、健康が気がかりだ。

 ミャンマーについては先日、アジアを歴訪したブッシュ米大統領が「軍政の権力乱用は拷問、処刑、強制移住などに及び、国民は暗黒の下にある」と、民主化が最も遅れた国の一つとして名指しで非難した。

 そうした実態は国連報告でも明らかだ。この二年の間に二百四十村が破壊され、十五万七千人が難民に、百万人近くが人権侵害から逃れるため、タイやインドなどへ脱出したという。

 子どもの三人に一人は栄養失調か発育不良にあるという報告まである。

 しかし、軍政はそんな警告に耳を貸さず、昨年、民主化に前向きだった首相を解任して以降は孤立化を強めるばかりだ。

 来年夏から予定された東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国への就任こそ、欧米諸国の圧力を受けて自ら辞退したが、閉鎖的な体質は今も変わらない。

 大国・中国が経済を通じて友好姿勢を取るなど、国際社会の足並みの乱れが現政権を強気にさせているという指摘もある。

 ミャンマーは二〇〇三年に独自のロードマップをつくり、軍政主導の民主化を目指すとしているが、国際社会との協調なしに、民主国家が築けるはずはない。スー・チーさんを解放して初めて真の民主化へ踏み出せることを肝に銘じるべきだ。


ミャンマー/民主化の流れを止めるな
2004/10/21 神戸新聞

 ミャンマー軍事政権で穏健派の代表格とみられたキン・ニュン首相が解任され、後任にソー・ウィン第一書記が昇格した。民主化を拒む強硬派と目される人である。

 失脚の背景に何があったのか、いまひとつ判然としない。だが、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長が率いる強硬派が、解任を機に一段と力を伸ばすことは間違いない。

 民主化を求める内外の声に逆行した、憂慮すべき事態といわざるを得ない。

 キン・ニュン氏は軍政ナンバー3。首相に就いてすぐ、新憲法案作成のための国民議会招集や総選挙実施など、民主化ロードマップを示して注目された。自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チーさんら民主化勢力や国際社会との対話の窓口にもなって、一定の信頼を得ていたといわれる。

 いわば、軍事政権の内側から風穴を開けるという期待がかかっていた。その失権が及ぼす影響は小さくない。

 国内では民主化の動きが停滞し、スー・チーさんの解放も遠のく。国際的な孤立も深まるだろう。先のアジア欧州会議(ASEM)で、民主化の遅れを理由に制裁強化を打ち出した欧州の反発は強いはずだ。

 それでなくても、ミャンマーの経済発展は東南アジアの中で遅れている。外国からの投資が進まない上、欧米の経済制裁も効いている。外貨の不足は深刻だ。

 新首相の施策は今後を見守る必要があるが、強硬路線に走るようなら、援助や協力はさらに期待薄になる。その先に一体、どんな未来が描けるというのか。

 野党が圧勝した九〇年の総選挙を見ても民主化は国民の要請だ。民主的プロセスで新政府をつくり、国際社会に受け入れられる国の体制を整えなければならない。

 関係国は引き続き、そうした説得を現政権に行うべきだろう。近隣各国とともに、日本の働きがとりわけ重要といえる。

 最大の援助国として、日本は折に触れてミャンマーに民主化を促してきた。昨年六月には、スー・チーさん拘束に対する制裁として新規援助を凍結している。

 しかし、人権状況が改善されないままの肩入れを批判されたこともあった。欧州が渋るミャンマーのASEM加盟が実現したのも、日本の後押しが大きかった。

 そうした経緯を考えれば、動きを慎重に見守るだけで済まないのではないか。

 外交ルートを通じて、改革への内外の期待を重ねて伝えることだ。ミャンマーの発展は、東南アジア地域の安定に通じる。関係が深い国としての役割を自覚したい。


ミャンマー/民主化の約束に背くのか
2003/06/12 神戸新聞

 ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが、再び同国の軍事政権に拘束されてしまった。

 すぐに現地入りした国連のラザリ事務総長特使の申し入れを受け、軍政側は近く拘束を解く約束をしたという。だが、釈放がいつになるかは分からない。

 スー・チーさんは、昨年五月に自宅軟禁を解除されたばかりである。軍政が公約した民政移管に向けた政治対話に、国際社会の期待も高まっていたが、わずか一年余りで、またもや裏切られた形だ。

 軍政側は「保護」を名目にした一時的な拘束とする。スー・チーさんの訪問先で、支援者と親軍政派の衝突が起きたからだ。しかし、スー・チーさん率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)の幹部を軟禁し、大学なども事実上閉鎖した。民主化勢力に対する全面弾圧の様相である。

 スー・チーさんに寄せる国民の支持は、九〇年の総選挙でNLDが圧勝したことでも分かる。対話に本腰を入れない政権に批判を強めるスー・チーさんが自由に動けば、国民の反感がさらに広がる。そんな危機感が軍政指導部にあったのだろう。

 一部には「NLD非合法化」という強硬手段を取る可能性もささやかれる。これでは、民主化への柔軟姿勢は見せ掛けだったといわれても仕方がない。

 軍政当局は、即刻スー・チーさんを釈放すべきだ。それすら実行できないようならとうてい国際社会の信頼は得られまい。

 忘れてならないのは、日本がミャンマーへの最大の援助国になっていることだ。経済状況は危機的という現政権にとって、わが国からの支援は頼みの綱である。

 経済が安定すれば、結果的に民主化も早まるという日本政府の判断は、理解できないことはない。しかし、軍政トップは対話に前向きなどころか、かえって独裁色を強めているといわれる。

 実情を十分把握しないままの支援の継続は、逆に、民主化を遅らせる可能性も否定できない。現に、日本はなぜ軍政を支えるのか、との批判や疑問が聞かれる。

 川口順子外相は、来週開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムの席で、ミャンマー外相にスー・チーさんの釈放を要請する意向だ。当然だろう。

 ミャンマーが名実ともに世界に開かれた国に踏み出せるよう、支援していることを明確に伝えるべきだ。期待に背くような事態は、強くたしなめなければならない。

 最大援助国として、国際社会だけでなく、わが国の国民に対する責務でもある。


スー・チーさん/解放を民主化への一歩に
2002/05/08 神戸新聞

 軍事政権下にあるミャンマーには、東南アジア諸国連合(ASEAN)の中にあって、内に閉じた印象がつきまとう。

 その国で民主化運動を長く指導してきたのが、最大野党の国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チーさんである。一九九一年の「ノーベル平和賞」受賞は、非暴力に徹した運動が評価されたものだった。

 一昨年の秋以来、自宅軟禁の状態にあったスー・チーさんだが、ようやくその措置を解かれた。歓迎できる動きだ。

 これを機に、軍政指導部と民主化勢力が対話をさらに深め、名実とも世界に開かれた国へ踏み出すことが期待される。しかし、確かな転換点になるのかどうか、行方はなお不透明といわざるを得ない。

 スー・チーさんは、軟禁の解除が「無条件解放」であり、今後の政治対話に意欲を見せている。これに対し軍政側は、市民に政治的な自由を容認する姿勢を示しているものの、最優先するわけではない。

 将来、国の安定や統合が損なわれるような事態が生まれれば、いつでも強硬策に立ち戻る。衣の下に、そんな鎧(よろい)が透けてみえる印象が否めないのだ。

 野党トップとして街頭演説などが、どこまで自由に行えるのか。お互いに信頼は醸成されたのか。要は、民政移管に、現軍事政権がどこまで本気なのか、である。

 過去には、軍政幹部による事実上の院政といえる案を、スー・チーさんが拒否したこともあったという。解除は評価しながらも、今後を慎重に見守る必要がある。

 ミャンマーには、外貨不足が深刻な財政の立て直しや、国民の生活水準の向上など、重要な課題が山積している。多くの少数民族を抱える多民族国家とあって、反政府の武装勢力も存在する。

 疲弊した経済社会の再建を図るには、これまでの抑圧的な政策に対する、欧米諸国の制裁が足かせになっている。民主化に本腰を入れ、国際的な孤立から脱する以外、選択肢はあるまい。それも、外部の圧力でしぶしぶ行うのではなく、統治の基本を切り替える姿勢が肝要だろう。

 急がれるのは、民政の実現である。八八年に始まった軍事政権の公約が、いまだに実現していない。九〇年の総選挙でNLDが大勝したのに、政権側は「新憲法の制定が前提」として移管を拒み、憲法の起草作業も進んでいないからだ。

 スー・チーさんは、民主化のシンボルである。自由への復帰を、国づくりの明確な転機として生かすことが望まれる。

by deracine69 | 2007-09-27 23:59 | アジア・大洋州  

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