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<砂川裁判>元被告、怒りあらわ「司法の独立どこへ」

4月30日2時31分配信 毎日新聞

 60年安保闘争へと続く米軍基地を舞台とした砂川闘争での基地侵入事件(砂川事件)の判決をめぐり、駐日米大使と、最高裁長官、外相が接触を重ねていたことが米国の外交文書で明らかになった。文面からは、安保体制への影響を最小限に抑えようとの米国側の狙いが浮かぶ。当時の被告は「司法の独立はどうなるのか」と怒り、元裁判官は「司法行政のトップが大使と話すのは当たり前」と長官を擁護した。

 7人いた事件の被告のうち当時学生としてデモに参加していた土屋源太郎さん(73)は「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」と批判した。

 裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判断はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。

 上告審弁護団の一人で、元参院議員(共産)の内藤功弁護士(77)は「危惧(きぐ)はしていたが、実際にここまでやっているのかと驚いた。司法は国内政治からも距離を置くべきなのに」と述べ、「今後も安保条約や自衛隊の絡む訴訟は監視しないといけない」と話した。

 一方、1審判決で陪席裁判官だった松本一郎独協大名誉教授(77)は「大使がかなりショックを受けて、慌てふためいていた感じがする。初めて聞く話で、興味深い」と述べた。一方で田中長官と大使との接触については「最高裁長官は司法行政の長というポスト。米国大使とは当然面識があっただろうし、仮に大使が電話をしてきたとして、『話をしません』とは言えないだろう」と冷静に受け止めた。

 米大使と密談したとされる田中耕太郎・最高裁長官は、内務官僚や文相を経て50年から10年間、第2代長官を務めた。55年にあった裁判所長らの会合では「ジャーナリズムその他一般社会の方面からくる各種の圧迫に毅然(きぜん)としなければならない」と訓示し、話題となった。74年に死去。1審東京地裁の判決を出した伊達秋雄裁判長は退官後、「外務省機密漏えい事件」の弁護団長などを務め94年に死去している。【井崎憲、武本光政】

 ◇大使が最高裁長官と密談したことを示す文書の日本語訳

 最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。

 外務省当局者が我々に知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議は、恐らく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。  マッカーサー



<砂川裁判>米大使、最高裁長官と密談 破棄判決前に
4月30日2時31分配信 毎日新聞

 米軍立川基地(当時)の拡張に反対する住民らが基地内に侵入した砂川事件で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決を破棄し、合憲判断を出した1959年の最高裁大法廷判決前に、当時の駐日米大使と最高裁長官が事件をめぐり密談していたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。当時は基地存在の根拠となる日米安保条約の改定を目前に控えていた時期で、米側の司法当局との接触が初めて明らかになった。

 国際問題研究者の新原昭治さん(76)が、別の事件に関する日本と米国の交渉記録などを公文書館で閲覧していて発見した。大使は、連合国軍総司令官のマッカーサー元帥のおいであるダグラス・マッカーサー2世。最高裁長官は、上告審の担当裁判長の田中耕太郎氏だ。

 文書は、59年4月24日に大使から国務長官にあてた電報。「内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到着するまでに少なくとも数カ月かかると語った」と記載している。

 電報は、米軍存在の根拠となる日米安保条約を違憲などとした59年3月30日の1審判決からほぼ1カ月後。跳躍上告による最高裁での審議の時期などについて、田中裁判長に非公式に問い合わせていたことが分かる内容だ。

 これとは別に、判決翌日の3月31日に大使から国務長官にあてた電報では、大使が同日の閣議の1時間前に、藤山愛一郎外相を訪ね、日本政府に最高裁への跳躍上告を勧めたところ、外相が全面的に同意し、閣議での承認を勧めることを了解する趣旨の発言があったことを詳細に報告していた。

 新原さんは「外国政府の公式代表者が、日本の司法のトップである、担当裁判長に接触したのは、内政干渉であり、三権分立を侵すものだ」と話している。【足立旬子】

 ◇ことば 砂川事件

 1957年7月8日、東京都砂川町(現・立川市)の米軍立川基地で、拡張に伴う測量に反対するデモ隊の一部が境界柵を壊して基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反で起訴された。東京地裁は、安保条約に基づく米軍駐留が憲法9条に反するとして59年3月に全員を無罪としたが、最高裁大法廷は同12月に1審を破棄、差し戻しを命じた。判決は、国家統治の基本にかかわる政治的な問題は司法判断の対象から外すべきだとする考え(統治行為論)に基づくもので注目された。7人は有罪(各被告に罰金2000円)が確定した。

 ◇ことば 跳躍上告

 刑事訴訟法に基づき、地裁や家裁、簡裁の1審判決に対して、高裁への控訴を抜きに、最高裁に直接上告する手続き。1審で、憲法違反や地方自治体の条例・規則が法律に違反したと判断された場合に限って認められている。

 ▽奥平康弘東大名誉教授(憲法学)の話 田中長官が事件の内容について詳しくしゃべることはなかったと思うが、利害関係が密接で、当事者に近い立場の米国大使に接触したことは、話の内容が何であれ批判されるべきことだ。米国側もそのことは認識していたと思うが、それが問題視されなかったことに、当時の日米の力関係を改めて感じる。

 ▽我部(がべ)政明・琉球大教授(国際政治学)の話 安保条約改定の大枠は59年5月に固まっている。1審判決が出た3月は、日米交渉がヤマ場を迎えた大事な時期だ。文書は、日米両政府が裁判の行方に敏感に反応し、連携して安保改定の障害を早めに処理しようとしていた様子がよく分かる。

by deracine69 | 2008-04-30 02:31 | 司法  

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