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胡錦濤訪日のグローバルな意味を問う 様変わりした中国首脳の訪日

2008年5月13日18時30分 日経BPnet
(宮家 邦彦=AOI外交政策研究所代表)

 5月10日、中国の胡錦濤国家主席が5日間の公式訪問を終え帰国した。中国メディアが訪日の成果を盛んに強調する一方で、同主席を見つめる日本国民の眼は予想以上にさめていた。日本の主要メディアでは、「具体的成果に乏しい、中国に対し言うべきことを言わなかった」など、日中関係について従来にない辛口のコメントが目立つ。

 しかし、中国首脳の訪日を2国間関係の視点からのみ捉えるのは、十分な考察とは言えない。中国を取り巻く国際政治・経済環境は近年激変しつつある。今回は中国に関心を持つビジネスパーソンのために、胡錦濤訪日のグローバルな意味合いと日中関係の行方について分析してみたい。(文中敬称略)

胡錦濤訪日:4つの視点

 今次胡錦濤訪日を検証する際に必要な視点は以下の4つである。

1)日中関係の9割は内政問題であること

2)中国外交の最優先事項は対米関係であること

 最初の2点は昨年の拙稿(「ポスト安倍政権と日中関係」)に詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。要するに、日中要人の相互訪問は両国の内政上の権力闘争の一部であり、日中関係は米中関係の「従属変数」の一つにすぎない、ということだ。

3)中国共産党は体制維持のためなら手段を選ばないこと

 1989年の天安門事件以降も、共産党独裁による「統治の正統性」の維持という中国歴代政権の最優先課題は変わらない。一見ソフトなイメージが強い胡錦濤政権ですら、必要があれば「体制の生き残り」を賭けて、ためらうことなく武力を含む「断固たる措置」をとると考えるべきである。

4)中国を見る世界の眼が変わりつつあること

 最も重要なのはこの第4の視点だ。

 現在中国の最大関心事は2つある。第1は、チベット問題が吹き荒れる中で北京オリンピックを成功させ、胡錦濤政権の指導力を安定させること。第2は、来年以降、米国新大統領の下で米中関係を悪化させないよう、今から必要な布石を打っておくことだ。

 最近憂慮すべき事態が起こりつつある。中国の国際的評価が急落しつつあることだ。中国にとっては1989年の天安門事件以来最大の外交的危機である。

 一例を挙げよう。従来米政府関係者は中国について「脅威」、「敵」といった用語を慎重に避けてきた。ところが、最近ヘイデンCIA長官がカンザス州立大学における講演の中で、中国の軍事力増強に懸念を示しつつ、「(中国が大国としての国際的責任を受け入れないならば)中国の台頭はより“敵対的なもの”’と映り始めるだろう」とまで公言した。

 経済面でも対中批判は鳴り止まない。従来ビジネス界には人民元の過小評価や対米貿易黒字への批判があった。最近は、パナマだけで数百人もの死者を出した偽医薬品から有毒鉛入り玩具まで、中国製品の安全性に対する疑念が米国消費者、NGOを中心に高まっている。しかも、こうした動きは今や欧州、カナダ、中南米から豪州、東南アジアにまで広がりつつある。日本のギョーザ中毒事件などもこうしたグローバルな流れの一環なのだ。

 最近チベット問題が世界各地でかくも短期間に爆発していった真の理由はここにある。一般大衆の対中イメージが悪化する中で、中国がこれまで培ってきた「ソフトパワー戦略」は急速に色あせつつある。胡錦濤訪日がこのような厳しい国際環境の中で行われたことを忘れてはならない。

胡錦濤の思惑

 以上を前提として、来日直前の胡錦濤指導部の思惑と本音をあえて推測してみよう。

1)江沢民の対日政策は失敗だった。中日関係の改善は中国にとって中長期的な利益であり、米国からも求められていることだ。小泉純一郎元首相の靖国参拝には苦労させられたが、幸い後任の安倍晋三前首相は「国際政治」が分かっていた。2006年の首相就任直後に、安倍政権とうまく取引ができてよかった。

2)今回の訪日は2006年10月の安倍訪中、2007年4月の温家宝訪日、2007年12月の福田訪中から2008年8月の北京五輪開会式への日本要人出席に連なる5段階政治プロセスの一環である。中日関係を利用して足を引っ張ろうとする国内の政敵を黙らせるためにも、今回の訪日は成功させなければならない。

3)キョーザ事件発生とチベット情勢悪化は想定外である。特に、前者については、日本の地方警察による情報リークが有害だった。日本の警察は「政治」を知らないのではないか。訪日は厳しいものとなろうが、いまさら中止することはできない。中止すれば、対日関係改善のモメンタムが失われ、中長期的には逆効果となるだけだ。

4)幸い、福田首相とは仕事がやりやすい。長野の聖火リレーもうまく仕切ってくれた。しかし、今回の訪日でガス田やギョウザ問題について譲歩はできない。そもそも、福田内閣がいつまで続くか誰にも分からないではないか。そのような状況で日本と妥協すれば、政敵が黙っていないだろう。

5)チベット問題についての妥協は不可能だ。問題がウイグルその他の地域にまで飛び火すれば、共産党政権は深刻な問題に直面する。訪日の機会に欧米諸国に対し前向きのメッセージを出したいところだが、それも容易なことではない。訪日前にダライ・ラマの代理人との対話を実現するぐらいが限度ではないか。

 内外に困難を抱える胡錦濤主席は薄氷を踏む思いで訪日したに違いない。

 一方、福田首相も内政上似たような問題を抱えている。1980年代には中国に対し親近感を抱く日本人の割合が8割もあった。今やその数字は3割台に低迷している。胡錦濤訪日で成果があっても、国民にはあまり評価されない。一方、失敗すれば、支持率のさらなる低下が避けられない。

胡錦濤訪日は失敗だったのか 

 続いて、胡錦濤訪日の成果について検証してみよう。日本側が最も重視していたガス田、ギョーザ、チベット問題について、胡錦濤主席はレトリック以上の具体的譲歩をほとんど行わなかった。今回の訪日ほど「日中友好」なるスローガンが空しく響いたことはない。また、今回ほど日本政府の思惑と一般庶民の認識とのギャップが大きかったこともないだろう。今回は「パンダの貸与料は高すぎる」という声が上野動物園に多数寄せられたという。以前なら考えられなかったことだが、このニュースが胡錦濤訪日の成果を象徴しているのだろう。

 一方、発表された共同声明を読む限り、評価すべき点も少なくない。例えば、「中国側は、日本が、戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した」

 「双方は、日朝国交正常化が北東アジア地域の平和と安定にとって重要な意義を有しているとの認識を共有した。中国側は、日朝が諸懸案を解決し国交正常化を実現することを歓迎し、支持する」

 双方は「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する」

「政策の透明性の向上に努める」

 「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」

 「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した」

 中国側が国連改革との関連で「日本の国際連合における地位と役割を重視」する

 といった文言が新たに「日中政治文書」に加えられた。

 ここにある日朝間の「諸懸案」とは拉致問題のことだ。「政策の透明性」とは中国の軍事費、製品の安全性、チベット問題などを踏まえたものだ。「普遍的価値」とは人権である。抽象的ながらも、こうした表現を中国側に認めさせた意義は少なくない。

 今次訪日の成果はどこに基準を置くかで変わってくる。例えば、全くのゼロから始めた1970年代には日中間のいかなる合意も成果となった。しかし、歴史問題という「負の遺産」から始めざるを得なかった今回は、「マイナス」からようやく「出発点」に戻ったことこそが「成果」なのかもしれない。

 絶対値では「ゼロ」でも、伸び率は「プラス」だった。そう考えれば、胡錦濤主席の今次訪日を「チベット、ギョーザ、ガス田、パンダ」に終わったと総括するのはあまりに短絡的過ぎるだろう。

日中関係の行方

 最後に、日中関係の今後について簡単に述べたい。

 中国最高首脳の訪日が「成功した」以上、今後日中関係は淡々と進展していくだろう。ただし、中国側がチベット問題で実質的譲歩を行うことはない。ギョーザ問題はいずれ適当なところで手打ちとなるだろう。ガス田については、「悪魔は詳細に潜む」との格言通り、今後も具体的内容をめぐって「のらりくらり」と進むのではなかろうか。

 とにかくオリンピックさえ成功させれば、中国側は一安心だ。その後は、米議会でのチベット問題批判決議、昨年秋の呉邦国・全人代常務委員長(国会議長に相当)の訪米中止など、このところギクシャクしている対米関係により多くのエネルギーを注ぐだろう。

 日本との諸懸案は、福田政権、総選挙、政界再編の行方を見極めた上で方針を決定するに違いない。歴史問題などが再燃しない限り、その後の日中関係は米中関係の良し悪しに連動していくだろう。このところ、就任当初の米国新大統領は中国に対し厳しい姿勢をとることが多い。今こそ日中関係を進展させる好機だと思うのだが、日本の政治はそれどころではないかもしれない。

宮家 邦彦(みやけ・くにひこ)
1953年生まれ。1978年外務省入省後、外相秘書官、中東第一課長、日米安保条約課長、在中国、イラク大使館公使、中東アフリカ局参事官等を経て、2005年退職。現在、AOI外交政策研究所代表、立命館大学客員教授。

by deracine69 | 2008-05-13 18:30 | アジア・大洋州  

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