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川端賞の2作、格差社会の隅から声援

2008年05月15日 朝日新聞

 年間の短編ベストワンを選ぶ第34回川端康成文学賞は2作受賞と決まった。うち一編の田中慎弥氏「蛹(さなぎ)」(「新潮」07年8月号、新潮社刊『切れた鎖』所収)には驚かされた。人間が一切出てこない、カブトムシの幼虫の自我を描いた異形の短編なのだ。

 幼虫は地中を巡り、やがて蛹へと成長、地上に出ようとする。そのさまが細密に描かれ、読者は虫の視点に引き込まれる。蛹は〈さっさと皮を脱いで上へ出てみろ、ほらほらどうした、お前はそこに留まっていていい身分じゃない、早く上で闘わなければならない……なぜ上の世界を拒絶するんだ〉という声を聞く。

 田中氏は35歳の新鋭で、同賞の最年少受賞となる。

 選考委員の井上ひさし氏は「『オイディプス王』や『ハムレット』に通じる父親探しやタブーの問題を扱っている」と指摘した上で、「格調高い文章とちっぽけな存在の関係が面白い」と評した。

 もう1作は、中堅作家、稲葉真弓氏の「海松(ミル)」(同2月号)。編集などの仕事に携わる50代の独身女性が、志摩半島に建てた別荘で猫と共に暮らす正月の数日と、過去10年が自在に語られる。東京では〈ずっとずっと仕事をしてきたのだ〉と振り返り、自然の中で再生の時を見いだす。

 「蛹」は、引きこもりの若者が社会に出ようと、もがくさまを描いたとも読める。一方、「海松」には、老いを意識し始めた女性の哀感がにじむ。まったく異なる作風だが、井上氏は「見えないものがパッと見えてくるのが短編の力。『蛹』は取るに足らない存在の闘い、『海松』は独身でがんばっている女性の未来を描き、両作とも今の時代の読者に手応えがある短編でしょう」と締めくくった。

 確かにそこからは、格差社会の片隅で発せられた、ささやかなエールが聞こえてくる。(小山内伸)

by deracine69 | 2008-05-15 23:59 | 社会  

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