田母神論文: 隊内の長年の鬱屈示した
2008年11月13日 朝日新聞志方俊之 帝京大学教授、元陸将
この論文は不適切である。
第一に、時が悪い。旧約聖書に「黙るに時があり、語るに時がある」とあるように、たとえ本心の発露であっても、語るには時というものがある。航空自衛隊のトップである幕僚長としてこうした論文を今発表したのは不適切だ。
13世紀の元寇では、多数の日本人がモンゴル・高麗の連合軍によって殺されたが、現在それを批判する人はいない。長い時間がたち、すでに歴史になっているからだ。しかし20世紀の日中、日韓関係は、いまだ生々しい。生きている当事者もいる。今、空幕長の立場で論文にあるような歴史観を述べることは、日本の国益にならない。
第二に、手続きに問題がある。本来ならこうした論文を投稿する際には、内規に基づいて事前に書面で官房長に提出すべきだった。しかし、本人は歴史観の論文であり職務に関するものではないと自分で判断し、官房長には口頭で伝えただけだった。これはおかしい。
歴史観は職務に関するものである。幹部自衛官は日々、隊員の士気を維持し高めることに苦労している。私もそうだった。厳しい訓練を課し、いざというときは国のために命を捨てろと求める。歴史観はきわめて重要だ。日本は過去にひどいことをやった罪深い国だ──では、若い隊員たちが誇りを持って命を捨てられるだろうか。戦闘機もミサイルも必要だが、隊員の士気を高めることが一番だ。国を愛し誇りに思う気持ちは、いわゆる「自虐史観」では育てられない。おそらく、論文はそれを言いたかったのだろう。
もし彼が官房長に文書で届けていたら、次官、大臣と上がっていく間のどこかで「これはまずい」となって、待ったがかかっただろう。彼はそれをわかっていたのではないか。空幕長を辞めたあとに投稿していたら問題はないが、世の中は相手にしないだろう。現役のトップの今だから、注目を集める。その意味で、彼は切腹する覚悟だったのかもしれない。
自衛隊にとっては、迷惑千万だろうが、一部には、よくぞ言ったという評価もあったのではないか。
では、どうすればいいか。そもそも、自衛隊員には長年にわたり鬱積しいるものがある。それを払うようにしてほしい。歴史観については、まず政治家が自分の言葉で語ることだ。首相が交代するたびに「村山談話を踏襲します」としか言わないのではだめだ。この談話は日本の「植民地支配と侵略」を認めたものだが、たとえ踏襲するとしても、改めて自分の歴史観として読み上げたらどうか。
今回の問題の根本には憲法がある。現行憲法では自衛隊の存在が明確ではない。そんな状態が長く続き、屈曲した気分を作っている。憲法を変えて自衛隊の存在を明記することだ。
空幕長だった個人の問題として弾劾するのはたやすいが、それでは自衛隊の中にある鬱屈したものは消えない。問題の背景、根底をよく見てほしい。
シビリアンコントロール(文民統制)は貫かなければならない。そのためにも、日本は法治国家なのだから、首相のリーダーシップと憲法改正は不可欠だ。ただその前に、隊内で意見具申できる雰囲気はなかったのか。自衛隊は命令一下、一糸乱れず動く組織だが、上司に対して時には「それはやめたほうがいいのでは」と言える風通しの良さも求められる。士には諫言する勇気も必要だ。
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36年生まれ。陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、北部方面総監などを歴任。
by deracine69 | 2008-11-13 06:00 | 社会